中央大陸と西方大陸を分かつデルダロス海。
その鮮やかな群青は、両大陸の間にみなぎる緊張感を全く感じさせないほど穏やかで、そして深く澄み切っていた。だが、その人目に触れぬ深部では、様々な意図が複雑に交錯していたのである。
水深800メートルの深海中を、一隻のホエールキングが静かに進んでいた。
黒に近い濃紺で塗装されたホエールキングは、ガイロス帝国海軍第7輸送戦隊に所属する大型輸送ゾイドであった。西方大陸のロブ港で荷物をしこたま積み込んだ後、この深度まで潜行。デルダロス海の底を這うようにして、中央大陸南部のある場所を目指していた。
「艦長!」
オペレーターのヘンシェル軍曹が、真剣な表情で背後を振り返った。
「どうした?」
艦長を務めるシュナイダー少佐は、ヘンシェルの方へ顔を向けると、目で続きを促した。
「方位0−3−0に、水中戦闘ゾイドと思われる音源を捕捉。距離9000。数は、2……いや、3です」
その報告に、副長のヴォーゲン大尉が不満げな表情になる。
「もうすぐ“停留所(※)”が見えてこようかってときに……」
舌打ち混じりで口をとがらせるヴォーゲンを遮って、シュナイダーはヘンシェルに声をかける。
「軍曹。そのゾイドの機種は特定できるか?」
シュナイダーの発した問いに、もう一人のオペレーターであるベルガー軍曹が応えた。
「今、音紋照合をしているところです…………。結果、出ました。ウオディックです。間違いありません」
ウオディックと聞いて、シュナイダーとヴォーゲンは思わず顔を見合わせていた。
彼らの所属するガイロス帝国海軍もウオディックを装備し、運用してはいる。しかし、その数は決して多くなく、その殆どが本土沿岸部の防衛にあたっていた。時折、アンダー海やダラス海へ哨戒に出ることはあっても、こうして長距離輸送任務に就くホエールキングの護衛をするだけの余裕はなかった。
となると、結論は自ずと限られてくる。
「ネオゼネバスか」
シュナイダーが、吐き捨てるように呟く。
「懲りない連中です」
ヴォーゲンもそう言って、シュナイダーに同調してみせた。
今どきデルダロス海をうろついているウオディックが、海中散歩をのんびり楽しんでいるハズがない。シュナイダーたちの乗るホエールキングを追跡し、あわよくば撃沈してやろうとつけ狙う、ネオゼネバスの水中戦闘ゾイドであることは明らかだった。
そうした経験は、これが初めてという訳ではない。シュナイダーは慣れた手つきで艦長席のコンソールを叩き、ブリッジのメインスクリーンに戦術情報を呼び出した。
たちまち立体的な海底地図が浮かび上がり、そこにホエールキングの現在位置と予定進路が表示される。そして、その上から、後方より接近しつつあるウオディック隊の位置と予想進路が重ねられた。
そこに表示された二つのラインは、今のところ交差する気配を見せていなかったが、シュナイダーはウオディックがこのまま素通りするとは考えていなかった。
「副長、これをどう見る?」
「……やはり、我々を探知、追跡していると考えるべきでしょうね」
「私もそう思う」
「どうしますか? 速力を上げて振り切りますか?」
「いや……。むしろ、ここは気付いてないふりをしてみようではないか」
シュナイダーはそう言ってから、操舵士のウォルフ中尉に短く命令。
「速度、このまま。針路は予定通り。別命あるまで、速度を上げるな」
「宜候」
「しかし、相手は引っかかりますかね?」
「微妙だな」
ヴォーゲンの疑問に、シュナイダーはそう応じた。
「だが、敵の意図が、我々の最終目的地を探ろうというところにあるのなら、成算はある。ルイーズルートを潰したがっている連中にとってみれば、我々の存在は目の上のたんこぶ以外の何物でもないだろうからな」
「結構なことです」
そう言って、ヴォーゲンは笑った。
「敵ゾイド、転進。速度、30ノットから35ノットへ上昇」
ヘンシェルの報告と同時にスクリーン上の戦術情報が更新され、敵ゾイドの予想進路がホエールキングのそれと交わった。
「ちょっと早すぎませんか」
「あるいは、よほど功を焦っているのか」
「しかし、もう手遅れですな」
ヴォーゲンはメインスクリーンを見つめて、そう言った。
「そうだ。手遅れだな」
シュナイダーは軽く首肯し、息を吸い込んだ。
「総員、第一種戦闘配置! 全艦耐爆、対雷撃防御」
「了解。総員、第一種戦闘配置」
「防水隔壁、閉鎖。全水密ハッチを固定します」
「耐爆準備よし」
「探信音波、打て!」
その命令に、ベルガーが困惑気味な表情を浮かべた。
「それでは、敵にこちらの位置を教えることになりますが」
「構わん。どうせ、バレているんだ。それに、位置を教える相手は敵じゃない。味方だ」
そう言われて、ベルガーはハッとする。
「了解!」
慌ててコンソールに向き直り、アクティブソナーのスイッチを押す。
ピイィィィィィン…………。
その任務遂行において、先ず第一に隠密性が要求される軍用水中ゾイドでは、探信音波――すなわちアクティブソナーの使用は制限されている。海中で自ら探信音波を発することは、闇夜でカンテラをともすことに等しい。確かに、周囲をよく見通せるようにはなるが、同時に周囲からもこちらが丸見えになってしまう。そのため、通常はパッシブソナーのみを用いて、じっと耳を澄ませていることが多いのだ。
しかし、シュナイダーは幾つかの思惑から、敢えて探信音波を打たせた。
目的のひとつは敵の反応を窺うことだったが、もうひとつ別の目的もあったのである。
「敵ゾイド部隊、増速。距離7500。遅くとも3分以内に、雷撃可能範囲に到達予定」
ベルガーが報告する。
「来るか。……正しい判断ではあるな」
シュナイダーはそう呟きながら、顎をなでる。
と、そのとき、ソナースコープと睨めっこしていたヘンシェルが、状況の変化に気付いた。
「方位1−8−0に、複数の水中ゾイド。……これは、共和国海軍のハンマーヘッド部隊です! 距離6000。針路0−0−0へ加速中!」
そう叫んで振り向いたヘンシェルの表情は明るかった。
「速度を上げて、1分以内には50ノットに達せよ」
と、シュナイダー。もうウオディックに付き合う必要はなかった。
「宜候。加速開始」
ウォルフがスロットルレバーをぐいと押し込むと、ホエールキングの巨体は低い唸り声を上げた。そして、すぐに力強い加速感が全ての乗員を包み込んだ。
※
――時系列は少し前後する。
ホエールキングが打った探信音波は、ネオゼネバス海軍のウオディック隊よりも一瞬先に、デルダロス海にて沈底警戒中であったハンマーヘッド中隊のもとへ届いていた。
「隊長。方位0−0−0より探信音波です」
「こちらでも確認した。お客さんが到着したようだな」
「はい。スケジュール通りです。ただし、何やら余分なオマケ付きのようでありますが」
「構わんさ。そのために、我々がいるんだからな」
そう言うと、ヘリック共和国海軍第12水中駆逐戦隊の隊長を務めるクリフ・ノーマン大尉は、戦術ディスプレイに目を落とした。
この時期、共和国はガイロス帝国および西方大陸と手を結び、『ルイーズルート』と称される一大軍事支援網を整備していた。暗黒大陸から西方大陸の鼻先をかすめて中央大陸南部へと至る長大な海中輸送ルートによって、中央大陸で戦う共和国軍への兵站を確保することが第一の狙いであった。
当然ながら、ネオゼネバス帝国による軍事干渉が予測されたため、共和国海軍は新型水中戦闘ゾイド――ハンマーヘッド改によって編成された部隊をルイーズルートの各所に展開し、その護衛にあたらせた。
ハンマーヘッド改は、元来海空両用機であるハンマーヘッドから空中機動能力を取り除き、純粋な水中戦闘ゾイドとして再設計したゾイドである。そのため、シルエットこそ大した違いはないものの、水中における機動力、打撃力および探知能力は、通常型ハンマーヘッドのそれを大きく上回っていた。
なお、ハンマーヘッド改には、大きく分けて二つのバージョンが存在している。既存の通常型ハンマーヘッドを改修した前期型と、新しい設計図面に基づいて新規量産された後期型。そのどちらも『ハンマーヘッド改』と呼ばれるため、少しややこしいのであるが、厳密には両者は全く別のゾイドと言っても過言ではない。
ちなみに、ノーマン率いる第12水中駆逐戦隊――通称、トリトン戦隊は、後期型ハンマーヘッド改12機から構成されている。ただし、パイロットが不眠不休で活動することはできないため、6機ずつの2チームに分かれてシフトを組んでいることを付記しておきたい。
ハンマーヘッド改の鋭敏なセンサーは、彼らが護衛すべきホエールキングのみならず、その後方から迫り来るウオディックの姿をも捉えていた。
戦術ディスプレイの表示を一瞥しただけで、ノーマンは即座に自らの成すべき仕事を理解していた。
「トリトンリーダーより、中隊各機へ。これより敵部隊と交戦開始する。戦術パターンD。一機たりとも生かして帰すな!」
そう命令を下すと、ノーマンはさっさとスロットルを全開にした。
ノーマンの乗機を含む4機のハンマーヘッド改は、最大戦速で針路0−0−0へと突き進む。そして、ホエールキングと擦れ違うやいなや、すぐさま転舵してウオディック隊へと機首を向けた。
そして、残る2機はホエールキングに随伴し、安全なポイントまでの誘導を開始した。
※
ウオディック隊は、ハンマーヘッド改のあまりにも急速な接近に狼狽えていた。
「馬鹿な。データと違うじゃないか!」
パイロットの一人が腹立ち紛れに叫んだが、それも無理はない。これまでにハンマーヘッド改と交戦したネオゼネバス側のゾイドは全て撃沈されており、ハンマーヘッド改の戦闘データは全く得られていないのだから。
そのため、彼らが有しているのは西方大陸戦争時における通常型ハンマーヘッドのデータでしかない。しかし、今、現実に彼らの前に存在するハンマーヘッド改は、通常型のスペックをあらゆる面でことごとく凌駕しているのである。
「くそッ。技術部の野郎、いい加減なこと抜かしやがって――」
苛立ちを抑えられぬまま、パイロットは必殺の水中兵器・ソニックブラスターを発射しようとトリガーに指をかけた。
次の瞬間、コクピットに突き上げるような衝撃が走った。
「!!?」
それは他ならぬソニックブラスターの着弾によるものだった。
共和国軍は西方大陸戦争での戦訓に基づいて、ハンマーヘッド改を作り上げた。
――ウオディックを圧倒すること。
それが、亡命先の西方大陸でハンマーヘッド改の開発を担当した技術スタッフたちの合い言葉だった。だから、かつてハンマーヘッドを苦しめたソニックブラスターを、その改良型に搭載することは極めて妥当な判断だと考えられたし、意趣返しとしてこれ以上に巧い手があるとは思えなかった。
敵が自分と同じ武器を持っているという事実。そのことに、機体の損傷以上の心理的ショックを受けたパイロットに、更なる追い打ちをかけるように状況は悪化していく。
突如としてコクピット内に鳴り響く警報。慌てて戦術ディスプレイを覗き込んだパイロットは、そこに表示されるデータに愕然とした。
ウオディック隊に向かって突き進む、合計16本の誘導魚雷。
ソニックブラスターの攻撃を食らって、まともな戦術機動ができない身の上では、それは死を宣告されたに等しかった。
祈りとも呪詛ともつかぬ言葉を呟き、ウオディックのパイロットは目を瞑った。
1秒後。
海中に激しい爆発音が響き、3機のウオディックは圧壊。パイロットもろとも海の藻屑と消えた。
※
「任務完了。各機、通常警戒態勢へ戻れ」
ノーマンの指示が水中無線で伝えられ、ハンマーヘッド改は再び沈底警戒の陣形を組み直す。
「隊長」
「どうした?」
「ホエールキングから電文です。『ワレ、貴官ラノ奮戦ニ感謝ス』――だそうです」
「そうか……。『よい航海を』とでも返電しておけ」
「了解」
部下の声を聞きながら、ノーマンは戦術ディスプレイ上に今週のスケジュールを呼び出す。今日は、輸送ゾイドの通過が、あと2回予定されていた。
――長い一日になりそうだ。
ノーマンは軽く伸びをしてから、コクピットに常備された戦闘食パックを取り出した。
※)停留所――ガイロス帝国軍で使われる一種の暗号。ルイーズルート上に点在するヘリック共和国軍の防衛拠点を指している。