時は、ZAC2105年。
ヘリック共和国の首都陥落による事実上の国家崩壊から、既に3年の歳月が経過しようとしていた。
その間、ネオゼネバス帝国は、穏健かつ寛容な占領統治によって人心掌握に努める一方で、共和国軍の残存勢力に対しては情け容赦のない掃討作戦を展開していた。
後世の歴史家が「片手でパンを与えながら、もう片一方の手で剣を振るう」と形容した、皇帝ヴォルフ・ムーロア(と、その側近たち)の政策は、共和国再興の芽をことごとく叩き潰しているかのように見えた。ネオゼネバス帝国軍とヘリック共和国軍の戦力差は圧倒的であり、とても共和国軍に勝ち目があるとは思えなかった。
しかし、視点をひとたび中央大陸の外へと転じてみれば、そこには幾つもの看過できない不安定要因がひしめいていた。
その中でも、特にネオゼネバスが警戒していたのが、暗黒大陸ニクスを統合する巨人・ガイロス帝国の動向であった。
よく知られているように、ネオゼネバス帝国皇帝の父――ギュンター・プロイツェン・ムーロアはガイロス帝国の摂政であった。彼は、まだ幼かった皇帝ルドルフを補佐する摂政という特殊な地位と権力を、自らの野望のために最大限利用することを決意。そして、西方大陸への侵攻を契機として、ヘリック共和国に対して開戦。両国を戦乱の渦へと引き込んだのである。
その後、プロイツェンはガイロス帝国首都・ヴァルハラにおいて叛乱を起こし、ガイロス、ヘリック両軍の主力部隊を巻き添えに自爆するという挙に及ぶ。その混乱に乗じる形で、ヴォルフ・ムーロア率いる
当然、ガイロス帝国のネオゼネバス帝国に対する心証が良かろうはずがない。そのことは、ネオゼネバスの上層部もよく理解していたから、今は暗黒大陸に大人しく引っ込んでいるガイロス帝国がいつの日にか中央大陸へ攻めてくるかもしれないという恐怖は、相当に現実味を帯びたものであった。
勿論、不安要素はそれだけではない。西方大陸の情勢も無視できない問題であった。西方大陸――特に主戦場となった北エウロペ大陸の先住民にとっては、ネオゼネバス帝国は自分たちの土地を荒らした張本人の息子が作った国でしかない。ゆえに、その感情は決して友好的とは言えなかった。ネオゼネバスと敵対関係にあるヘリック共和国の亡命政府を受け容れたことが、その何よりの証拠と言えるだろう。
だが、外交交渉が不可能であるのなら、それらの脅威を取り除くために暗黒大陸や西方大陸へ軍隊を送り込むという選択肢も、ネオゼネバスにはあり得た。
しかしながら、ネオゼネバスがそうした拡張主義的政策を実行に移すことはなかった。
なぜなら、そうなれば中央大陸におけるネオゼネバスの軍事プレゼンスが相対的に低下することは避けられず、結果として、大陸各地に潜伏している共和国軍の残存勢力に、これ以上ない絶好の反撃機会を与えてしまうことになる。
それだけはできないというのが、ネオゼネバス上層部の一致した見解だった。
しかし、そのネオゼネバスの弱みは、対抗するヘリック共和国側にとっては強みとなる。
炎上する首都からの脱出を果たした共和国大統領ルイーズ・エレナ・キャムフォードは、ヴォルフ・ムーロアの足下を見透かすかのように、抜け目ない外交交渉を展開。そして、遂にはガイロス帝国および北エウロペ都市国家連合との間で秘密軍事協定を結ぶことに成功する。
一見、孤立無援に見えた中央大陸の共和国軍であったが、その背後にはガイロス帝国と西方大陸の都市国家群による有形無形の支援が存在していた。だからこそ、圧倒的な劣勢に置かれながらも、3年間にわたって抵抗を続けてこられたのである。
戦争は終わったのではなく、これから始まるのだ――ということに、民衆が気付くためには、まだ幾ばくかの時間が必要であった……。