エヴァは無言のまま、スロットルレバーをレッドゾーンへと叩き込んだ。
   パワードイグアンのスラスターは、たちまち激しい咆哮をあげる。その爆発的な推力は戦闘重量25トンを越えるイグアンの体躯を、一瞬でトップスピードに乗せるに余りあるものだった。
   エヴァは巧みな操作で、パワードイグアンをケイローン・ツヴァイの右側面に廻り込ませる。
   その高速機動は、ツヴァイの予測を超えていた。
   イグアンに対する挙動に、一瞬のラグが生じる。
   メインモニターに映るそれが、電磁場の影響によるシステムの遅延でないことを祈りつつ、エヴァはスロットルレバーを押し込み続ける。
   背部の強化型フレキシブルスラスターの燃焼温度が安全限界を越え、コクピットに耳障りな電子音が鳴り響いた。
   エンジン出力を落とせ、という統合診断システムからの警告だ。
   だが、エヴァはそのメッセージを削除し、警告音を消す。
   その操作には何の迷いも無かった。
   むしろ、迷うという感覚を忘れているかのようですらあった。
   イグアンもエヴァの操作を受け容れ、爆走する。
   躊躇ったほうが負ける、というのは戦場の鉄則だ。エヴァは、常日頃から、そう考えていた。非常事態に際して、頭であれこれ考えるのではなく、反射的に最適な行動を取ることができる――そういった人間こそが真に強い戦士なのだ、と。
   そうしたエヴァの信念とパワードイグアンの力が渾然一体となって、今まさにケイローン・ツヴァイに突き刺さらんとしていた。
※
「司令、ハンテルマン少尉から通信が入っています」
   技官に代わって、ケイローンの進路を追うように前進するベルゲ03内のコンソール前に陣取った整備兵のヨハン・ヘンケルが、そう報告した。
  「繋げ」
  「了解」
   ヨハンがコンソールを叩くと、制御室の主モニターにハンテルマンの顔が映し出された。
  「ハンテルマン少尉です。大変です、司令!」
  「どうした?」
  「ツヴァイが暴走しています!」
   その言葉に、アイスバッハは眉をひそめた。
  「だから、君たちに出撃してもらったのではないか」
  「そうじゃありません! 今、ツヴァイはヘックラー少尉のイグアンと交戦中なんですッ」
  「交戦中、だと?」
  「はい。向こうからこちらに攻撃を仕掛けてきたんです。ヤツには、明らかに戦う意思があります。ヘックラー中尉だけでは、とても支えきれません! 何とか増援をお願いします」
  「わかった。今、ウーデット中尉のケイローンが急行している。少尉はそのまま基地へ帰投したまえ」
  「了解……」
   ハンテルマンからの通信は切れた。
   ――どうしたものか。
   と、アイスバッハは考え込んだ。
  「司令、ウーデット中尉に伝えておきたいことがあります」
   出し抜けにそう言ってきたのは、主任技官のロイエンタールだった。
  「何を伝えるのかね」
   アイスバッハは、半ば皮肉混じりで、そう訊いた。
   だが、ロイエンタールは、それを気にかける様子もなく、話を切り出した。
  「ツヴァイに仕掛けられた自爆装置のことです」
  「自爆装置だと?」
  「そうです。緊急停止装置は使い物になりませんでしたが、万一の事態に備えて、ツヴァイにはコンピュータを経由することなく、機体各所に埋め込まれた成型炸薬ボルト――つまり、自爆装置に直接点火するためのマニュアルスイッチが組み込まれています。それを使えば、ツヴァイの行動を止めることが可能です」
  「それなら……」
   と言いかけたアイスバッハを遮るように、ロイエンタールは続けた。
  「ただし、そのためにはゾイドを使ってツヴァイに接触し、手動で点火装置を作動させねばなりません」
  「手動で、だと?」
  「はい、そうです」
  「呆れたものだ」
   と、アイスバッハは鼻を鳴らした。
  「上の連中は、そんな危なっかしいゾイドを我々の元へ送り込んできたというのか。よくよく見放されたものだな。そうなると、貴官らも捨て駒同然という訳か」
  「その点については、私も同感です」
   ロイエンタールは押し殺すように言った。
   アイスバッハは背後に立つロイエンタールを一瞥してから、ヨハンに命じた。
  「ウーデット中尉との通信回線を開け」
  「了解」
   ヨハンの指がコンソール上を素早く踊る。すぐにケイローンのコクピットへ通信が繋がった。
  「繋がりました」
  「よし。……こちら、アイスバッハ大佐だ。中尉、聞こえているか」
  「こちら、ウーデット中尉。感度良好。よく聞こえます。どうぞ」
  「ツヴァイの技術スタッフのロイエンタール主任から、中尉に伝えておきたいことがあるそうだ。重要なことだ。よく聞きたまえ」
  「了解」
  「ロイエンタールです。中尉にお願いしたいことがあります。現在、ツヴァイは暴走状態にあり、非常に危険です。ツヴァイを止めるには、手動にて自爆装置を起動させる他はありません」
  「手動で、自爆装置を!?」
  「そうです。起爆装置は、ツヴァイの後頭部下側――ちょうど首の後ろにあたる部位にあります。そこにある丸いスイッチを押し込んでください。これは人間の力ではダメで、ゾイドでなくては動かすことができません。尚、起爆装置を操作してから10秒後には、機体各部の炸薬ボルトが一斉に点火され、爆発します。起爆後は、速やかに、そしてなるべく遠くへ退避して下さい。……以上です」
   いきなりのことでウーデットは面食らった。
   だが、取り敢えず、何をなすべきかが明確になったことには幾ばくかの安堵を覚えもした。
  「了解しました」
  「中尉の健闘を祈っている」
   アイスバッハが言った。
  「恐縮です。全力で奮闘いたします」
  「期待している。交信を終わる」
  「はッ」
   通信が切れ、制御室内に再び静けさが戻る。
  「……さて、これで上手く収まるとよいがな」
   アイスバッハの呟きは、その場にいる全員の心情を代弁していた。
