「遅くなりました!」
その声とともに、整備班長のビスマルクと副班長を務めるコールが会議室に入ってきた。
二人の姿を認めたアイスバッハは目だけで着席を促す。
ビスマルクとコールが着席してから、副官のシュナイダーは会議室に集まったメンバーの顔ぶれをもう一度確認した。今さら改めて確認するほどのこともないのだが、そうした儀式めいた慣習を大事にするのがシュナイダーという人物であった。
基地司令のアイスバッハ大佐。
テスト部隊の隊長である、フレンツェン大尉。
テストパイロットのウーデット中尉、ヘックラー中尉、そしてハンテルマン少尉。
整備班班長のビスマルク大尉。
同副班長のコール中尉。
……そして、副官である自分自身。
この場に、ワルキューレ隊の士官8人全員が揃っていた。
「全員、揃いました」
シュナイダーの短い報告に頷くと、アイスバッハはおもむろに口を開いた。
「では、緊急会議を始めよう。こうして、諸君らに集まってもらったのは他でもない。エウロペ派遣軍司令部からの命令が届いたのだ」
そう言って、アイスバッハは一通の封筒を取り出した。
既に封を切られた青い封筒は、その中にランクBの命令書が在中していたことを示していた。「ランクB」とは、開封後12時間以内に基地内の士官全員に伝達されるべき内容の命令および情報のことであり、非常事態とは言わないまでも、それなりに緊急性を帯びたものが多かった。
それを知る士官たちの間に緊張が走る。
「司令部からの命令は、『直ちに現在進行中の評価試験プログラム全てを中断し、別命あるまで現状を維持せよ』。以上だ」
アイスバッハがそう言い終えると、途端に場がざわついた。
「どういうことですか、それは?」
「幾らなんでも、急過ぎませんか?」
皆、顔を見合わせ、口々に疑問を呈する。
「まぁ、落ち着きたまえ」
「しかし、司令!」
「腰を下ろしたまえ、中尉」
そのまま立ち上がりかねない勢いで叫んだウーデットを制すると、アイスバッハは両手を顔の前で組み合わせた。
「この命令は、エウロペ大陸に展開している全ての実験部隊に対して伝達されたものだ。ケイローンのテストの進捗が思わしくないこととは何の関係もない。座りたまえ」
アイスバッハにそう言われ、ウーデットは思わず顔を伏せた。
そして、そのままイスに座り込む。
「我々を取り巻く状況が、この数日の間で急変したのだ。司令部からの情報によれば、我が軍の本隊は北エウロペ大陸東端にある共和国軍ロブ基地の攻略に失敗。残存した部隊は、ニクシー基地へ向けて全力で撤退中だということだ。その退路の確保のためだけに、ライトニングサイクス、ジェノザウラーなどの新型ゾイドが投入されている。我が軍が、このエウロペで圧倒的優位にあったのは、既に過去の話になったのだよ」
アイスバッハは淡々とした口調で、そう語った。
「司令部は戦力を整えて巻き返しを図る考えのようだが、果たして上手く行くかどうか。共和国軍もこれを好機と捉えて、現有兵力を大規模に投入してくるだろう。そうなったときに、我が軍が持ちこたえられるかどうか……」
「我々はどうなるのでしょう?」
フレンツェンが訊いた。
「それはわからない」
アイスバッハは、そう答えた。
「だが、新型ゾイドの開発計画は全て凍結された。全ての計画が見直しの対象になっている。開発がストップされる計画もあるだろうし、継続されるものもあるだろう。また、各地の実験部隊についても、統廃合などの措置が取られるだろう。あるいは、今後の戦況の推移次第では、実戦部隊への編入もあるかもしれない」
「実戦、でありますか」
そう呟いたハンテルマンの声に不安と緊張が滲む。
「まぁ、そういう覚悟は決めておいたほうが良いだろうということだ。何がどう転ぶかなど、今から考えても取り越し苦労に過ぎないがね……」
アイスバッハはそう言うと、口を閉ざした。
会議室を静寂が包んだ。
ただ、時計の針が時を刻む音だけが虚ろに響いていた。
※
その頃、本国から派遣されてきた技官たちは、特殊仕様のグスタフ『ベルゲ03』内の制御室でデータの解析に追われていた。
単なるスリーパーではなく、高度な自動制御システムを組み込んだ自律型無人戦闘ゾイドを開発するためには、膨大なデータの収集とその詳細な分析が不可欠であることは論を待たない。
技官たちは、このワルキューレ隊の基地で、連日のようにケイローン・ツヴァイの稼動試験を行い、精力的にデータ収集を続ける一方で、その解析作業も並行して行っていた。ベルゲ03の制御室には複雑な演算処理を実行可能な高性能コンピュータが搭載されており、データの解析は専らこのコンピュータの能力に依存するところが大きかった。
しかし、順調に進んでいるはずの作業の中で、ひとつだけ技官たちの頭を悩ませる要素があった。
「……やっぱりだ。何度計算しても、例のヘックラー中尉のイグアンとの模擬戦闘で得られたデータと、ツヴァイ単独で行った稼動試験から得られたデータとの違いがわからないッ!」
そんな悲鳴にも似た声をあげたのは、マイヤーだった。
ケイローン・ツヴァイがたった一度だけ行った模擬戦闘。それが、あの対イグアン戦だった。
そのときは、ツヴァイが暴走にも似た挙動を示したため、技官たちも「これ以上の模擬戦闘は危険である」という判断を下さざるを得なかった。
おそらく、エヴァの技量がなければ、イグアンはパイロットごと破壊されていただろう。
それほど、危険な状況だった。一般に信じられているよりも、重量階級が異なるゾイドの戦闘力の差は大きい。中型ゾイドと小型ゾイドの差には、機体のカスタマイズやパイロットの能力などではどうにもならない要素がある。エヴァとパワードイグアンがケイローン・ツヴァイを退けられたのも、エヴァの技量、パワードイグアンの特殊装備、そして幾つかの幸運に恵まれたからだと言っていい。そのことは、誰よりも対戦したエヴァ自身が肌で感じていた。
ゆえに、それ以降の評価試験は全てケイローン・ツヴァイ単独で行われていたのだ。
「システムのパラメータ設定は他の試験のときと同じ。神経系の反応速度や、コアの生体電磁波のパルスパターンにだって、これといった異状は認められない。それなのに、どうしてあんな挙動を示したんでしょうかね?」
マイヤーは上司にあたるロイエンタールに疑問をぶつけた。
「……わからない」
ロイエンタールは、そう答えるしかなかった。
「やっぱり、イグアンから何らかの影響を受けたんじゃないかな?」
ドルニエがそう口を挟むと、マイヤーは鼻を鳴らした。
「ンなことはわかってるよ。問題は、その影響が何かってことと、その原因だろ?」
「そんなにいきり立つなよ。フランツ。冷静に状況を整理してみよう」
ドルニエはそう言うと、自身の思考をなぞるように言葉を連ね始めた。
「あの模擬戦闘でツヴァイが取った行動は、これまでに報告のなかった未知の事象だ。ということは、ツヴァイとノーマルな戦闘ゾイドを比較すればいい」
「……そうかもな」
「だとすれば、原因は絞られてくる。システムか、メインフレームか。そのいずれかだと思うんだ。無人制御システムに関しては、帝国アカデミーの研究所から渡された代物で、僕らはそのカラクリの詳細を知らない。メインフレームにしたって同じだ。古代ゾイド人の遺跡から発掘した未知のコアを、あのイグアンとヘルキャットのパーツを流用して組み上げたフレームに収めたということしか知らされていない。データを収集している僕たち自身、あのツヴァイの素性を本当は何も知らないんだ。僕らの知らないところに、何か重大な秘密が隠されているんじゃないかと思う」
「となると、ここで幾ら議論しても無意味ってことか?」
訊き返すマイヤーに、ドルニエは頷いた。
「多分ね。それでも、何らかの答えを得ようとするなら……」
そう言いかけたドルニエの言葉を遮って、ロイエンタールが口を開いた。
「もう一度、あの状況を再現してやればいい。そこでツヴァイの行動に再現性が確認できれば、大きな前進になるはずだ」
「確かに、そうですが……」
言いよどむドルニエに向き直り、ロイエンタールは続けた。
「だが、ワルキューレ隊に協力を求めるのは困難だ。彼らとて、大事なゾイドを危険に晒すような真似はしたくないだろうからな」
「じゃあ、どうやって状況を再現するんです?」
マイヤーがもっともなことを訊いた。
ロイエンタールの言うことは明らかに矛盾していた。ワルキューレ隊の協力が期待できないのに、ワルキューレ隊の協力が必要なことをしようというのだから。
マイヤーもドルニエも怪訝な表情を浮かべて、ロイエンタールを見つめた。
だが、ロイエンタールは事もなげに言ってのけた。
「なぁに、簡単なことだよ。この場で、ツヴァイを起動させればいい」
「!!」
「そんな無茶な! 何が起こるか、わからないんですよ!!」
「だからこそ、やってみる価値があるんじゃないか」
ロイエンタールたちのいるベルゲ03は、基地の棟屋から少し離れたところに駐機していた。
しかし、ケイローン・ツヴァイは基地の格納庫内にて待機状態を取っている。
そのケイローン・ツヴァイを格納庫内で無人起動させて、もし暴れ出すようなことがあれば、どんな被害が出るか見当もつかなかった。
「いくら新型開発のためとはいえ、同胞を犠牲にするのは反対ですよ」
「同感です。憎まれ役に徹するといっても、何もそこまですることはないではありませんか」
そう言って反対するマイヤーとドルニエに、ロイエンタールは首をかしげた。
「二人とも、何か勘違いしているんじゃないのか? 別に、誰かを犠牲にするわけではない。ただ、基地の格納庫に風穴を開けるだけだ」
「?」
「つまり、遠隔から起動させたツヴァイを操作して格納庫の壁を破壊。その後、自律モードに切り換えて、ツヴァイを基地外へ移動させる。そして、逃亡したツヴァイの捕獲に対する協力要請という名目で、ワルキューレ隊のゾイドを出動させてもらうわけだ。格納庫が損壊すれば、あの安普請の建物を修理する予算だって下りるだろうし。……これならば、丸く収まるだろう?」
「……そ、そんなものですか?」
「まぁ、少し心が痛まないでもないがね。これも新型ゾイド開発のためだ。ワルキューレ隊の皆様には、少しだけ我慢していただこう」
そんな大それたことをあっさり言ってのけるロイエンタールを見ながら、マイヤーとドルニエは今ごろになって彼がこのデータ収集チームのリーダーを任されている理由の一端を知ったような気がしていた。