第13話:彼方へ


 急速に遠ざかっていくエンジン音が聞こえてくる方角を、シュバルツシルトは呆然と眺めていた。
「もう、いいだろう?」
 不意に響いたタトシェクの声に、シュバルツシルトは現実へと引き戻された。
 再び向けられた銃口に言いようのない無力感を感じた。
 傍らのリディアのことが唯一の気がかりだった。
「どうしても私たちを殺すのですか?」
 つい、そんな言葉が口をついて出てくる。
「君の言いたいことはわかる。だが、私は一軍人として命令を遂行せねばならんのだ」
 タトシェクは押し殺した声でそう言った。
 再び訪れる痛い沈黙。
 それを押し流そうとするかのように一陣の風が吹いた。
 リディアがシュバルツシルトの上着の袖をぎゅっと掴んだ。
 その感触が今のシュバルツシルトにはどうしようもなく辛かった。
「芝居は終わりだ」
 タトシェクは抑揚のない声でそう言って、拳銃の引き金を引き絞った。

 パンッ

 乾いた銃声と共に発射された弾丸は、次の瞬間にシュバルツシルトの胸を貫く。
 ……筈だった。
 しかし、シュバルツシルトの目前で、弾丸は突如見えない壁に阻まれたかのように動きを止め、そして地面に落下した。
「???」
 何が起きたか理解できないシュバルツシルトたちに向かって、タトシェクはなおも発砲を続けた。だが、結果は同じ。発射された弾丸がシュバルツシルトたちを傷つけることはなかった。だが、タトシェクは弾が切れるまで引き金を引くことを止めようとはしなかった。
「いったい……」
 呆然と立ち尽くすシュバルツシルトに対し、タトシェクは無言で顎をしゃくってみせた。
「!?」
 それにつられるように顔を上げたシュバルツシルトは、予想だにしなかったものを認め、驚愕に目を見開いた。
「なッ……! ガ、ガンスナイパー!!?」
「気が付いてなかったようだな」
 タトシェクがそう呟く。
「どういうことです?」
 怪訝そうな表情で訊き返すシュバルツシルトに、タトシェクは自嘲気味な笑みを浮かべてみせた。
 そして、空になった弾倉をイジェクトして、地面に放り投げると言った。
「見たとおりさ。帝国の軍人が用無しになった研究者を始末しようとしたが、共和国軍のゾイドによって阻止され、その試みは失敗に終わった」
 まるで脚本を棒読みするかのような口調でそう言うと、タトシェクは口を噤んだ。
「……そういうことね。少しは状況を飲み込めたかしら?」
 そう言ってタトシェクの後を受けたのは、漆黒に塗装されたガンスナイパーのパイロットだった。
「お、女!?」
「命の恩人に対しての第一声がそれとは失礼ね。……私はヘリック共和国軍特殊部隊のエレナ・セーガン大尉だ。ミハエル・シュバルツシルトとリディア・シュローダーの両名の身柄を保護するために来た」
 シュバルツシルトを銃弾から守ったのは、エレナが駆るブラックオルフィスのEシールドが成せる業であった。そして、あのヘル・ラプターに止めを刺したのも、エレナとブラックオルフィスのコンビネーションによるものだったのである。
 ブラックオルフィスは作戦の第一段階において、帝国軍基地の監視施設を破壊するために投入されることになっていた。確かにそれは事実だったのだが、エレナとブラックオルフィスに与えられた任務はそれだけではなかった。
 ――監視施設への攻撃終了後は速やかに敵基地内へ侵入し、降下部隊の任務を影から補助しつつ、リタイアしたパイロットを確保し、そして基地内の研究者を『救出』すること。
 それがエレナにとってのもうひとつの任務だった。
 そして、このことを知る者は、本作戦の実行部隊には誰一人存在しない……。
「保護、だって……? ちょっと待ってくれ! そりゃ、どういう意味です? それに、どうしてあなたが私たちの名前を知っているんですか?」
 混乱するシュバルツシルトに、タトシェクが駄目押しする。
「君たちの名前は、私が教えた」
「な!」
 シュバルツシルトは絶句した。何が何だか全く理解できなかった。
 だが、タトシェクはシュバルツシルトの理解を待たずに言葉を続けた。
「共和国軍司令部はこの基地の全面的な破壊を決定したそうだ。おそらく、対地ロケット弾がこの基地めがけて発射される頃だろう。既に猶予は存在しない。そして、摂政閣下から正式な命令書が出た以上、帝国において君たちが生きる道はない。君たちに与えられた選択肢は二つだけ。この場で死を選ぶか、それとも共和国へ亡命するか。……さぁ、どうする?」
 タトシェクはそう言うと、黙ってシュバルツシルトを見つめた。
 シュバルツシルトにも少しずつではあるが、状況の裏にあるカラクリが見えてきた。
「そうか、そういうことなんですね……」
「そうだ」
 再び流れる沈黙の時。
「で、どうするの?」
 痺れを切らしたように、エレナが訊いてきた。
「タイムスケジュール通りなら、もう野戦砲兵大隊(カノントータス)による砲撃が開始されてる頃だから、あと5分くらいで、この基地は灰になるんだけどね。……気持ちは決まったかしら?」
 腕時計を見ながらそんなことを言うエレナを見上げて、シュバルツシルトは答えた。
「こうなったら選択の余地はない。共和国への亡命を表明します。……それなりの扱いはしてもらえるんでしょうね?」
「無論だ。厚遇する用意はできている」
「わかりました。……リディア。すまないけど、一緒に来てくれるか?」
 リディアは黙って首肯し、すっとシュバルツシルトに寄り添った。
「そうと決まれば、さっさとここから撤収しないとね」
 言うなり、エレナはパチンと指を鳴らす。
 すると、いきなり突風が吹き降ろし、ステルス迷彩を施したダブルソーダが二人の傍らに着地した。二つある座席に誰も座っていないところを見ると、これもいわゆる『ガーディアン』――ブラックオルフィス専属のスリーパー――の一種なのだろう。
「そのダブルソーダのシートに座って、ベルトを締めなさい。そうすれば自動的に目的地へと飛ぶ。そこで共和国政府の行政官が待っているから、あとは彼らの指示を受けなさい!」
 エレナの指示にシュバルツシルトたちは頷き、そして急いでダブルソーダに乗り込んだ。
 飛び去りゆくダブルソーダを見送ってから、エレナはタトシェクを見下ろした。
「あなたはどうする?」
「この場を去るさ。もう、私は単なる裏切り者だからな」
「それでいいの?」
「ああ、後悔はしていない。気にしないでくれ。私の両親と兄弟はプロイツェンの意に添わなかったというだけで処刑された。私は軍人として功を上げていたから、上官の口添えがあって死は免れたがね……。もはや、帝国に未練はない。このエウロペで別の生き方を探すさ」
 そう言って自分の気持ちを吐露してから、タトシェクは不器用に笑った。
「……そうか。わかった。縁があったら、また会おう」
 エレナはコクピットから鮮やかな敬礼を送ると、ハッチを閉めた。
 踵を返して闇に溶け込むブラックオルフィスに向けて、タトシェクもまた敬礼を返した。
 ふと気配を感じて振り返ると、そこにはタイガーキャットが佇んでいた。
「……ティガー」
 名前を呼ばれたタイガーキャットは、自らハッチを開けてタトシェクを招き入れた。
 コクピットに収まりながら、タトシェクはタイガーキャットに優しく声をかけた。
「よく来てくれたな、ティガー。これから、私のわがままに付き合ってくれるか?」
 その呼びかけに応えて、タイガーキャットは静かに鳴いた。
 タイガーキャットのコアの鳴動を感じながら、タトシェクは操縦桿を握り締めた。
 目の前に広がる闇。
 タトシェクはその不安を掻き立てる暗がりの向こうに確かな可能性を見ていた。
 ――今からやり直すとしても、遅くはないはずだ。
 そう思っていた。
「行こう!」
 タトシェクの鋭い叫びと共に、タイガーキャットは音もなく闇の彼方へ消えていった。

 数分後、カノントータス大隊によって撃ちこまれた無数のクラスター爆弾によって、レッドラスト中部の帝国軍基地は瓦礫の山と化した。
 それから約2時間後にレッドラスト北部基地からの救援部隊が到着したが、生存者は確認されなかった。
 基地の副官を務めていたリッター・フォン・タトシェク大佐と『ヘル・ラプター計画』に関わっていた研究員12名の遺体は発見されず、その消息は『行方不明』と記録された……。


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