第7話:覚醒


 第五実験棟の地下に設けられたラボで、シュバルツシルトは腕組みをしたまま身じろぎもせずに思索に耽っていた。
「また、揺れましたね」
「ああ……」
「避難しなくていいんですか?」
「ああ……」
「さっき、指揮所から連絡があったでしょう?」
「ああ……」
「…………」
 助手のリディアが何を訊ねても生返事しか返ってこない。
 今、彼の心は目の前のモニターに浮かぶ複雑な幾何学構造にとらわれていた。
 ――やれやれ……。こうなると、子供と同じね。
 リディアは大きく溜息をついて、コーヒーの入ったマグカップに手を伸ばした。
 シュバルツシルトは学生時代から何かに集中すると周りが見えなくなるタイプだった。彼女はそのことをよく知っていたから、何を言っても無駄だと悟った。
 納得したわけではなかったが、諦めるしかない。
 もうひとつ大きな溜息をつきながら、リディアは分厚い強化ガラスの向こう側にあるイオン溶液槽に目をやった。
 その中では、ヘル・ラプターが腰まで金属イオン溶液に浸かっていた。
 シュバルツシルトが夢中になっているのは、このヘル・ラプターの金属細胞の特殊な構造に関する問題だった。
 ヘル・ラプターは、潤沢な金属イオンの存在を割り引いても、異常と言うべきスピードでコアから成体に成長した。そのメカニズムを解き明かせば、ガイロス帝国にとって大きな利益がもたらされることは間違いない。ゆえに、厳格な情報統制のもとで研究が進められることになったのである。
 当初はオーガノイドシステムのバリエーション程度であろうと楽観されていたのだが、大方の予想に反して、研究は遅々として進まなかった。
 それは、ヘル・ラプターから採取されたサンプルが、これまでに全く知られていない構造をしていたからである。
 レブラプターと外見こそ似ているものの、分子レベルでは全くの別物であることが判明し、研究チームは頭を抱えざるを得なかった。
 早い話が、身体の仕組みが全く異なっていたのである。
 通常、ゾイドは代謝機能などをはじめとする基本的な生命活動のほとんどをゾイドコアで集中的に処理している。個々の金属細胞はコアからのエネルギー供給を受けて、所与の活動――運動、消化吸収など――を行うのみである。
 ところが、ヘル・ラプターの細胞は一つ一つが小さなコアとしての能力を持ち、独自にエネルギーを生み出しているのである。
 そのため、同一サイズであってもエネルギー収支は倍増する。まだ、実際に稼働していないから断定はできないが、戦闘時のポテンシャルもレブラプターのそれを大幅に上回るであろうことは確実視されていた。
 だが、しかし、である。
 なぜ、そのような特異な構造を持っているのか、どうやって金属細胞がエネルギーを生み出すのかといったことは、全くもって不明なままだった。そのことがシュバルツシルトを深い思索の海に引き込んでいた。
 冷え切ったコーヒーに口をつけながら、シュバルツシルトは頭を掻きむしった。
「……忌まわしいほど謎に満ちているな。このゾイドは」
 そう呟いたシュバルツシルトを何気なく見やったリディアは、そのままコンソールへと視線を移した。そして、コンソールに取り付けられたモニターのひとつが異常なデータを表示していることに気付いた。
「ミハエル! 溶液槽の金属イオン濃度がゼロに近づいているわ!」
「……! な、何だって!?」
 さすがのシュバルツシルトも、その言葉に我に返った。
「イオン濃度だけじゃない。コアの活性指数が上昇曲線を描いている……。このままじゃ……」
「まずいぞ! イオンの供給を停止させないと」
「やったわ! でも、止まらな……」

 ウウウウウウウウウウウウウウウウウウウゥゥ〜〜

 リディアの声を掻き消すように、けたたましい警報音が鳴り響いた。
「!!」
 ヘル・ラプターの生体活性度が一定のレベルを越えたときに鳴るように設定されていたものだった。
 見れば、ヘル・ラプターはゆっくりと上体を起こし、イオン溶液槽から一歩踏み出そうとしていた。目の前にあるシャッターをじっと見つめると、ヘル・ラプターは右肩に取り付けられたガトリング砲を一射した。
 それは軍によって取り付けられたオプション装備で、本来はレブラプターに追加搭載されるはずの武器だった。それをヘル・ラプターに装備させたのは、他ならぬ摂政プロイツェンの意向であった。
 一瞬の閃光と爆音の後で、特殊合金製のシャッターが砕け散った。
 もう「彼」を押し止めるものは存在しない。
 眼前の闇を見つめながら、ヘル・ラプターは吼えた。
「……火器の制御系を完全に中枢神経の統制下においているな。ガトリング砲の実射テストは、ひとまず合格ってとこか」
「ヘル・ラプターが出ていく! ……どうするの?」
 リディアの問いに、シュバルツシルトはゆっくりとかぶりを振った。
「どうする、って言ってもな。僕らでどうにかできるレベルはとっくに超えているよ」
「……それも、そうね」
「だろ?」
 シュバルツシルトはリディアにそう応えると、ボロ屑と化した非常シャッターをくぐるヘル・ラプターの後ろ姿を複雑な思いで見送った。


「……今、何か音がしなかったか?」
 第五実験棟を目の前にして、ランバードは部下にそう訊いた。
「え? 何か聞こえましたか」
 マクレガーが聞き返したそのとき、かたく閉じられていた実験棟の扉が吹き飛んだ。
「!!」
 重い金属製の扉に幾つもの穴が穿たれ、枠から外れて地面に転がる。
 何かがランバードの横合いを掠めた気がした。
「うわあああああぁあああッ!!」
「どうしたッ、キース少尉……!」
 部下の叫びに振り返ったランバードは声を失った。
 胴体を蜂の巣にされたビヨンドが、ゆっくりと地面に倒れ込もうとしていた。
 ランバードは恐怖に背後から抱きつかれたような気がした。
「大丈夫か!? 返事しろ、少尉!!」
 咄嗟に、部下へ声を掛ける。
「じ、自分は何とか……。しかし、コイツはもうダメです。コアを直撃されています」
 キース少尉は絞り出すように、そう応えた。
 その意味するところは明白だった。
「そうか……」
 ランバードは軽々しい言葉を口にできなかった。
 キースの搭乗していたビヨンド03は、見るも無惨な姿に変えられていた。
 胴体は大口径砲から吐き出されたと思しき弾丸によって跡形なく破壊されていた。粘性の強い体液が流出し、もはやピクリと痙攣することすらかなわなかった。
 その惨状から目を背けるように視線を戻すと、打ち砕かれた扉の代わりに佇む一体の小型ゾイドが、ランバードの視界に飛び込んできた。
 一見すると、新型機のレブラプターのようでもあるが、微妙な違和感があった。
「!!」
 ランバードは、瞬間的に、それが噂のヘル・ラプターであると直感した。
 が、身体が思うように動かない。
 どうしていいかわからないでいると、ヘル・ラプターの右肩に取り付けられていたガトリングが硬い音を立てて脱落した。
 弾切れだった。
 圧倒的な威力を持つ大口径ガトリング砲ではあるが、瞬く間に撃ち尽くしてしまう程度の弾数しか装填できないという欠点をも抱えていた。
 だが、それはヘル・ラプターにとっては、むしろ好都合だった。
 余剰な装備を切り離して身軽になったヘル・ラプターは、低い咆哮をあげながら地面を蹴って跳躍した。
「う、撃てーッ!!」
 ランバードは叫んだ。
 ビヨンドたちは一斉に手持ち式のビームガンを掲げた。銃口が煌めき、眩い閃光が闇を切り裂く。
 だが、ヘル・ラプターにはただの一発も当たらなかった。一斉射であったにもかかわらず、掠ることさえなかったのである。
 ビヨンドたちの真ん中に降り立ったヘル・ラプターは、無造作とも思える挙動で手近のビヨンド1体を砕いた。
 たちまち、恐怖が戦場を支配した……。


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