ブラックオルフィスの眼を通して見る外界は、闇夜であるにもかかわらず、鮮明に見えた。
   標的となっている帝国軍基地が、地平線上にポツリと見えていた。
   その中でひときわ高い構造物があった。
   共和国軍情報部が『タワー』と呼称していたその構造物は、高さ100メートルを越す円柱形の建物であった。壁面にびっしりとレーダーや赤外線監視装置などのセンサー類を貼り付け、頭頂部には四基の高射砲台を備えるという、いわば基地の防御の要であり、こと対空監視に関しては全てと言ってよかった。
  『タワー』を破壊すれば、降下作戦の成功率が飛躍的に増大することはわかり切っていた。
   だが、迂闊に接近すればたちまち捕捉され、猛攻を浴びて退却、あるいは撃滅を余儀なくされるであろうということも、また火を見るより明らかであった。
   その困難な任務を言い渡されたのが、エレナであったのである。
   ブラックオルフィスの性能を持ってすれば、40km先の塔を狙撃することは容易い――とは言わないまでも、不可能事ではない。
   それが司令部の判断だったし、事実でもあった。
   エレナは、深く吸った息をゆっくりと吐き出して、心を落ち着けた。
   彼女にとっても、40km先という遠方の標的を狙撃するというのは初めての任務だった。
   だが、焦る必要はなかった。
   少し遠いだけだ。
   いつも通りにやればいい。
   エレナは、そう自分に言い聞かせ、もう一度深く息を吸い込んだ。
   気分が落ち着き、集中力が高まった。 
   そして、いま一度標的を凝視した。
   一瞬、『タワー』が大きくなったような感覚にとらわれる。
   その機を逃さず、エレナの指はトリガーを引き絞っていた。
   エレナの意識とブラックオルフィスの躯はひとつに溶け合っていて、何ら抵抗を感じさせなかった。
   ブラックオルフィスの背面に装備された210mm電磁滑腔砲から猛烈な勢いで1発の徹甲弾が撃ち出された。
   その初速は、最大で秒速十数キロメートルに達する。まさに驚異的な速度であり、その猛速があればこそ超遠距離からの狙撃という任務が現実味を帯びるのである。
   この210mm電磁滑腔砲に狙われたら最後、逃れられるものは存在しない。
   ギリシア神話に登場する竪琴の名手『オルフィス』。彼の奏でる旋律はあらゆる人と神――冥王すらも――を魅了したという……。
   その名を冠するブラックオルフィス。彼が奏でる超音速の旋律に魅入られたものは冥界への階段を転がり落ちるしかないのだ。
   狙撃用のガンスナイパーにこの名前をつけた技術者が、地球からの来訪者たちの末裔だと聞けば、その理由もよく理解できるというものだろう。
   そんな由来を持つくらいだから、210mm砲の威力は桁外れだし、当然ながら発射に伴って発生する衝撃波も凄まじい。
   火薬式の砲が発射時に猛烈な反動を生み出すことを考えれば、それは些細なことのようにも思える。
   だが、ブラックオルフィスは『狙撃』を行うのである。尾部に内蔵されたフィールド発生装置によって微細な振動を相殺しなければ、とてもミリ単位の狙撃などできはしない。
   それほど繊細なものなのだ。
   甲高い衝撃波が辺りを払い、砂を盛大に巻き上げる。
   濃密な砂煙がエレナの視界を遮り、弾丸の行方を隠す。
   だが、それはエレナにとっては、もはやどうでもよいことだった。
   標的に向けて緩やかな弧を描いているであろう弾丸の行く末を見届けようともせずに、エレナは次の行動へと移った。
  「ウェイクアップ!」
   エレナが叫ぶと、ブラックオルフィスの両側の砂地がくぼみ、そこから2体のガイサックが姿を現した。
   その頭部はチカチカと赤い光を明滅させ、明らかに有人操縦の戦闘ゾイドとは異なる雰囲気を醸し出していた。
   頭部に――コクピットとパイロットではなく――電子装置を満載した『スリーパー』と呼称される無人機である。
   いかにブラックオルフィスが超高性能を誇るといっても、単独行動には常に危険が付きまとう。そのため、ブラックオルフィスのオプション兵装のひとつとして防御用の無人ゾイドが随伴する。
   この『ガーディアン』と呼ばれる無人機と共に、ブラックオルフィスはひとつの統合されたシステムを構成するのだ。
   ブラックオルフィスが量産化できないのは、この高度な統合兵装システムにも一因がある。
   そう言う者もいる。
   実際、このガーディアンを含めたときのトータルな運用コストは、大型ゾイド一体分に匹敵するか、あるいは凌駕するのだ。
   その上、攻防一体のガーディアンを操りきれるパイロットとなると、共和国軍内にも数えるほどしかいない。むしろ、理由としてはそちらの方が重大かもしれなかった。
   どんなに優れた道具であっても、最終的に使うのは人間であるから、道具がカタログ通りの性能を発揮するかどうかは使用者の資質に深く関わってくる。よく『○○と鋏は使いよう』などというが、それはゾイドにおいても当てはまる普遍的な原理なのである。
   使いこなせない道具など、何の意味も持ちはしない。それが兵器であれば、なおのことである。
   そういった意味でも、エレナは優秀なパイロットだった。
   ステルス迷彩を施したダークグレーのガイサックは、エレナの命令にのみ従って行動するようにプログラミングされていた。ブラックオルフィスと同調した者だけが、彼らに命令を下すことができた。
  「レディ……」
   2体のガイサックは、ビーム砲の代わりに、胴体の両側に多連装ロケットランチャーを装備していた。
   エレナの囁きにより、その矛先を帝国軍基地に向け、照準を合わせる。
   それは呆気ないくらい短い時間で完了した。
  「……ファイア!」
   エレナの命令によって、ガイサックから合計12発のロケット弾が発射された。
   そして、それらの弾丸は、十数秒前に発射された徹甲弾の軌跡をなぞるように、目標へ向かって飛んだ。
※
 ――少しだけ時を遡る。
 共和国軍が展開する『流星作戦』の目標となっていた帝国軍基地には、それほど危機的なムードはなく、むしろ普段通りに淡々と時が流れていた。
 それは、小銃を肩から掛けて夜の基地内を巡回する警備兵たちにとっても同じだった。
   やがて二人の警備兵は監視塔に差し掛かった。
   このいびつな高層建築物が『タワー』の別名で共和国軍に呼ばれていることなど、彼らには知るよしもなかった。
「いよいよ来週には、ここを撤収か」
「ああ。規定のローテーションでこのルートを夜間警備するのも、今夜で最後だぜ」
「そう思うと、感慨深いな」
 警備兵の一人――エルリッヒ・ゲーリング上等兵はそう言って、傍らにそびえる監視塔を見上げた。
 丸い壁面から突き出す様々なセンサー類が不気味なシルエットを形作っていた。
 いつもなら一瞥しただけで済ませる監視塔の確認に、ゲーリングは普段の何倍もの時間を費やした。
「早く次のポイントへ行こうぜ」
 しびれを切らしてそう促す同僚のマイ上等兵の言葉に、ゲーリングは二、三歩足を踏み出した。
 その時だった。
   突如として、轟音と共に監視塔の上半分が跡形もなく粉々に吹き飛び、地上を強烈な衝撃波が襲った。
  「う、あ!?」
 ゲーリングは叩きつけられるように、地面に転がった。
 驚きよりも早く地面が接近してきた。
 咄嗟に、ゲーリングは小銃を抱えこむように身体を丸めた。
 他には何も考えられなかった。
 倒れ込んだゲーリングのすぐ近くに塔の破片がバラバラと降り注ぎ、その中の大きいものはアスファルトを貫いて、地面に深く突き刺さった。
 その間、わずか数秒。
 ゲーリングはとても生きた心地がしなかった。
 やがて事が収まり、夜の静寂があたりを包む。
 ゲーリングもマイも奇跡的にかすり傷程度で済んだ。
 だが、あまりに突然の出来事に二人とも放心状態に陥り、茫然自失していた。
 連絡とか、報告とか、通報とか、そんなことが思い浮かぶことは一瞬たりともなかった。
 そんな余裕は何処にもなかった。
