第2話:出撃前夜


 エレナ・セーガン大尉は人気の失せた格納庫で、自らに与えられた戦闘ゾイドを穴が開くほど眺めていた。
 別に初めて見るわけではない。
 訓練で何度も乗っていたし、人知れず実戦にも参加していた。
 だが、エレナはそんな理屈は抜きに、ゾイドを眺めることが単純に好きだった。ゾイドを眺めていれば、不思議と気分が落ち着いた。
 あのアトラスモルガを巡る攻防から三ヶ月という月日が流れていく中で、戦況は劇的に転換し、エレナを取り巻く環境も大きく様変わりしていた。
 その経緯を思うとき、三ヶ月という時間は「もう」なのか、それとも「まだ」なのか――相反する感覚がエレナの中で混濁し、奇妙な感慨を生み出していた。
「大尉、こちらにいらしたのですか」
「ブラッドレイ少尉、いえ、中尉だったわね……」
「どうしたのですか、こんなところで。何かご懸念でも?」
 部下であったときと同様、丁寧な口調で訊ねるブラッドレイの態度に、エレナは少しくだけた表情を見せた。
「その逆よ、中尉。見ほれていたの。この『ブラックオルフィス』に、ね」
 そう呟いて、エレナは再びゾイドを見上げた。
 ブラックオルフィスというのは、平たく言えば、ガンスナイパーをベースに特殊改造を施したカスタム機の一種である。
 エレナたちは、バシリスク小隊の解散後しばらくの間、ガンスナイパーに乗って戦っていた。その高いポテンシャルには驚かされることもしばしばだったし、いささか粗っぽい表面仕上げを除けば、実に満足すべき機体と言えた。むしろ、追い込まれた状況下でこれほどの戦闘ゾイドを量産化したという事実には拍手を送っても良いくらいである。
 ともかく、同時期に投入された本国の精鋭部隊と相まって、共和国軍の戦況を好転させ、ここエウロペ大陸におけるパワーバランスを逆転させた功績は高く評価されて然るべきであろう。
 だから、このガンスナイパーの高性能さに目を付けた軍上層部の主導によって、選りすぐった素体をベースにした戦術バリエーションが数多く開発されたというのも、無理からぬ成り行きであった。
 ブラックオルフィスというコードネームを与えられたガンスナイパーも、そういったカスタム機の内の一体だった。
 機体性能は、あくまでも遠距離狙撃に特化しており、その象徴とも言うべき武装が背面に装備された『210mm多用途電磁滑腔砲』であった。これはビーム弾と実体弾(APFSDS)を用途に応じて使い分けできるという画期的な兵装である。もっとも、あまりに長ったらしい名前なので、整備兵の間では『210』だとか『マルチキャノン』といった略称で呼ばれることが多かった。
 ともかく、この電磁滑腔砲の採用により、ブラックオルフィスは流動可変な戦場において常に最適な弾種を選んでアウトレンジから敵を狙撃することが可能な数少ない戦闘ゾイドとなっていた。
 だが、極端なまでの高性能を実現するために、素体となるゾイドに対する要求水準も相当高く設定され、改修に必要なコストも小型ゾイドとしては非常識なほど高くついた。
 主力大型ゾイドにも使われていないような高度技術を集積しているのだから、当然と言えば当然なのだが、量産という側面から見れば大きなマイナス要素でしかなかった。
 結局、現時点で1機しか――つまり、エレナの機体しか――存在していないという事実が、何よりも雄弁にそのことを物語っている。
 つまり、ブラックオルフィスは「高コスト高性能」を地で行く機体なのである。
 量産することは不可能と断言してもよいくらいだが、機体の優秀性という観点からすれば、数多あるカスタムガンスナイパーの中でも一二を争うレベルにあることは間違いなかった。
「そんなに、よい機体ですか」
「乗せてあげられないのが残念なくらいよ。テストパイロット時代から、ありとあらゆるゾイドに乗ってきたけれど、これほどのゾイドには数えるほどしか出会ってないわ。……ところで、中尉はこんな時間に、こんなところで油を売っていていいの?」
「私たちの部隊は1800時に出撃予定ですから」
「今から、15時間後ね」
 腕時計を確かめながら、エレナがそう言った。
「はい。もう間もなく東部沿岸へ移動します。移動しながら仮眠をとって、作戦の最終確認はマンタレイの中で行う予定です」
「中尉は、空挺部隊だったかしら?」
「いえいえ、臨時編成の降下部隊ですよ。輸送機からの降下訓練なんか、たったの3回しかやっていません。こんなので上手く行くのかどうか……」
 ブラッドレイは大袈裟な身振りを交えてそう言ったが、肝心の降下プロセスがほとんど自動化されていることくらい、パイロットなら誰でも知っている常識だった。
 柄にもなく芝居がかった口調でおどけてみせるブラッドレイに、エレナも笑顔を見せた。
「ふふ、調子はいいようね。では、お互いベストを尽くしましょう」
「了解!」


 エウロペ大陸におけるヘリック共和国とガイロス帝国との戦争は、帝国軍の圧倒的優位から始まった。
 しかし、国家の存亡を賭けて共和国軍も必死の反攻を行った。
 帝国軍に対するゲリラ戦。
 新型ゾイドの量産化。
 本土を防衛していた精鋭部隊の派遣。
 その他、様々な要因が絡み合い、やがて戦況は共和国優位へと傾きはじめた。ミューズ森林地帯を完全に掌握した共和国軍は、その余勢を駆ってオリンポス山の帝国軍基地を制圧。エウロペ大陸全体を俯瞰する大きな足がかりを手にすることとなる。
 機は熟した。
 そう判断した共和国軍は、ひとつの軍事作戦を立案した。
『流星作戦』
 そう名付けられた作戦は、レッドラスト中部にある帝国軍基地の制圧を目的としたものだった。
 既にエウロペ大陸中部の砂漠地帯・レッドラストは両軍の最前線となっており、わざわざ作戦を立てずとも、その基地が陥落、あるいは撤退するのは時間の問題であった。
 では、なぜ『流星作戦』は立案されたのか?
 それを説明するには、少し時系列を遡らなければならない。
 モルガの変種と目されるアトラスモルガの消失以後、共和国軍はそのアトラスモルガ消失地点の調査において、帝国軍に後れをとっていた。
 定時巡回していたステルスバイパー小隊から、「何かを掘り出したような痕跡」を発見したとの報告を受けたエウロペ派遣軍司令部は、ようやくアトラスモルガ消失地点の詳しい調査と、そこから掘り出された物体の追跡を開始した。
 アトラスモルガ消失から一週間後のことだった。
 程なくして、一個のゾイドコアと思しき金属製の球体が土中から発見され、それとほぼ同じ頃には、レッドラスト中部の帝国軍基地に「何か」が運び込まれたという情報が持ち込まれた。
 エウロペ大陸に展開している共和国軍はゾイドコアを培養するような設備を持っていなかったため、コアは本国へと送られた。その代わりに、帝国軍基地の情報収集と分析が徹底的に行われた。
 その結果として明らかになったことは、『ヘル・ラプター』なるゾイドの存在だった。
 複数の情報源から、それがレブラプターと近似した外観を持つ機体であることはわかったが、アトラスモルガ消失点から掘り出されたコアを培養したものであるという以外は、殆ど何もわからないままであった。
 共和国軍上層部には、帝国軍にとってアドバンテージになりそうな材料――それがどんなに些細なことであっても――を与えたくはないという思いが、ことのほか強かった。
 ましてや、それが未知のテクノロジーによって生み出されたかもしれないゾイドであるとしたら尚更である。現在の戦況は共和国軍優位であるが、それとて未だ盤石とは言い難かった。危険な芽は早めに叩いておくに限るのだ。
 そこで、『ヘル・ラプター』が戦線の後方へ移送される前に破壊することを目的とした作戦が立案された。
 それが『流星作戦』なのである。
 作戦の目的が基地の制圧ではなく、そこに格納されているゾイドの破壊である以上、敵に気取られては元も子もない。それゆえ、スピード重視の奇襲作戦が採用された。
 実行部隊の中核として、ガンスナイパーのカスタム機による降下部隊が編成され、その支援として更に複数のガンスナイパーカスタムの投入が決まっていた。
 勿論、エレナのブラックオルフィスも作戦に参加することになっていた。
 表面的には普段と変わらぬ営みが繰り返されるエウロペ大陸だったが、その裏では『流星作戦』決行の瞬間が時々刻々と迫りつつあったのである。


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