今を遡ること、一ヶ月前。
急遽、エウロペ大陸へ派遣されることが決まったハインケルは、新しい戦闘ゾイドを受領するために帝国陸軍技術工廠を訪れていた。
ハインケルを出迎えた担当技官は、ヴァルターと名乗った。
ヴァルターは挨拶もそこそこにハインケルを格納庫に案内すると、そこに佇む一体の大型戦闘ゾイドを誇らしげに紹介した。
「少佐。これが、新型ゾイド『セイバータイガーD+』です」
装甲がテカっているだけの、普通のセイバータイガーにしか見えなかったハインケルの顔に失望の色が浮かぶ。
それを見て取ったヴァルターは、すかさず言葉をつないだ。
「確かに、このゾイドはセイバータイガーをカスタマイズしたものです。しかし、少佐、これは従来のカスタム機とは一線を画すものであるとお考えいただきたい」
「……どういうことだ?」
「簡単に言えば、元が違うのですよ」
「モト?」
「そうです。これまで、帝国では野生のゾイド本来の性質を殺してでも、扱いやすく、均質な性能を持った戦闘ゾイドを開発、生産することに注力してきました。しかし、扱いやすいということは悪いことではありませんが、野生ゾイドのポテンシャルが活かされるとは言い難い。能力的に優れたゾイドと劣ったゾイドが混在する場合、出来上がった量産ゾイドの性能は下のラインに揃ってしまう。これが問題でした」
そこまで言って、ヴァルターは少し言葉を切った。
「そこで、このセイバータイガーD+に関しては、野生ゾイドの中でも特に能力の高いものだけを厳選し、最低限の改修を行うにとどめています。このゾイドを扱う上で必要なのは、操縦技術じゃないんですよ」
「では、一体何が必要だというのだね?」
そう訊ねたハインケルに、ヴァルターは我が意を得たりという顔になる。
少し胸を反らすと、自信たっぷりに言い切った。
「振り落とされないこと。ただ、それだけです」
その科白を聞いたハインケルは、狐につままれたような気分にさせられた。
一通りの説明を終えると、ヴァルターはハインケルに一枚のプラスティックカードを渡した。
「これは大事なものですから、失くさないように。いざというときに、コックピットのスリットに挿入して使ってください」
ヴァルターの説明は、それで終わった。
それからのハインケルはセイバーD+を駆って、エウロペ大陸各地を転戦してきた。
カスタム機とはいっても普通のセイバータイガーと全く同じ操作系だったため、操縦に慣れるまでに時間はかからなかった。
――いったい、どこが普通のゾイドと違うのか?
それがハインケルの率直な感想だった。
確かに、機動性は高いし、攻撃力も強い。だが、それとて手に余るというほどではなかった。
だから、カードのこともすっかり失念していたのである。
※
「多分、今が『いざ』って時だよな……。コイツがどんなに凄いのか、見せてもらおうじゃないか!」
そう言いながら、ハインケルはカードをメインモニター脇のスリットに叩き込んだ。
すると、メインモニターの表示が切り替わり、次のような字幕が浮かんだ。
>リミッター解除キーを認識しました
>只今より統合制御システムの機能制限を全面的に解除します
>
>操縦席に深く腰掛け、操縦桿をしっかり握ってください
「な、何だ、こりゃ?」
ハインケルがその意味を理解するよりも早く、その効果は現れた。
ウォオオオオオオオオオオオオオオオ〜〜ッ!!
突如としてセイバータイガーD+が咆哮。その重低音は周囲の木々に乱反射し、凶暴なばかりの木霊となって辺りに広がった。空気がビシビシと震え、今にも飛びかからんとしていた野良ゾイドたちが、魔法にかかったように立ち竦む。
「なッ!?」
驚くハインケルを後目に、セイバータイガーD+は跳んだ。もはや兵器などではない。セイバーD+は、闘争本能が全てを支配する、猛り狂った一体の機獣と化していた。
ヴァルターが渡したカードは、セイバータイガーの闘争本能を抑制しているリミッターを解除し、そのポテンシャルを限界まで引き出すための鍵だったのである。リミッターを解除したセイバータイガーD+の性能は人間が扱えるような代物ではない。それどころか、ただ操縦席に座っているだけでパイロットの体力を奪い取ってしまうとされていた……。
鋭い衝撃がハインケルを襲った。これまでにない、凄まじい機動にハインケルの視界が一瞬赤く染まる。レッドアウト。強烈なGによって体内の血液が頭に昇ったのだ。
「ぐおッ」
操縦桿から手が引き剥がされそうな感覚。しかし、必至に耐える。ここで手を離せばどうなるかわからない。その危機感が、ハインケルの疲れた身体に鞭を打った。
……こ、これが、D+の本当の力なのか!
セイバータイガーとは比較にならない加速、そしてシートを通じて伝わってくる鼓動に、ハインケルは自信に満ちあふれたヴァルターの言葉の真意を初めて理解した。
メインモニターを見つめると、そこには一体の小型ゾイドがサイトの中央に捉えられていた。マルダーだ。狂ったようにビーム砲を撃ちまくるマルダーだが、その高エネルギー粒子の弾丸がセイバーD+にダメージを与えることはない。セイバーD+自身が素早く回避していたし、当たったとしても対ビームコーティングと良好な避弾経始によって、空しく弾かれるだけだ。かすり傷さえもつかない。
やがて、コックピットに鈍いショックが伝わる。さっきのマルダーが砕かれたのだ。だが、ハインケルがそれを確認することはできない。首を回すことができないのだ。ただ、状況から推測するだけ。
やがて、一本の巨木が前方視界に現れた。
……ぶつかる!?
だが、寸前でセイバーD+は跳躍し、その樹を駆け上がる。そして、幹を蹴って方向を変えると、地上の野良ゾイド目掛けて飛び降りた。乗っているハインケルは堪らないが、セイバーD+はお構いなしだ。限界ギリギリで森林の中を縦横無尽に駆け巡った。
群がってくる野良ゾイドを瞬く間に蹴散らすセイバーD+。
やがて、野良ゾイドの中には尻尾を巻いて逃げ出すものも現れ始める。そんな中、セイバーD+に果敢に挑む一体のゾイドがいた。
『ライジャー』である。
ライジャーは、旧ゼネバス帝国が開発した超高速戦闘機械獣である。徹底的なエアロダイナミクスの追求から生み出される最高速度は時速320キロメートル。無論、旧ゼネバス帝国の陸戦用ゾイドとしては最速の機体であり、サーベルタイガーはおろか、その改良型であるグレートサーベルをもはるかに凌ぐ高速性能を誇っていた。
その機体が乗り手を失って野良ゾイドとなり、セイバータイガーD+に挑んでいる。
対するセイバーD+もパイロットのコントロールを離れ、闘争本能の塊となっていた。解放された鋼鉄の魂は、カタログスペックを大きく上回る性能を叩き出していた。
絡み合う二体の高速戦闘ゾイドが、深き森で火花を散らす。木々の間を抜け、互いに交錯しながら、相手の装甲に爪痕を刻む。その闘いぶりは、人間が操るゾイド同士の戦闘のレベルを超え、もはや異次元の領域に入りつつあった。
セイバーD+に乗るハインケルは、既に意識を失っていた……。