> YOHKO
「TX-21、本艦の後方30000に占位。ロックオンされました」
そう報告するアソビン教授の口調には、ひとかけらの悲壮さもない。
ホロビュー上に開いた後方監視ウィンドウを覗き込むと、確かに白っぽい艦影が見て取れた。TA-2系列艦と酷似したシルエットであることを再認識して、前を向く。
「ふぅん。なかなか手慣れてるじゃない」
「そのようです、ミス・ヨーコ。……TX-21、インパルス砲発射しました」
アソビン教授の報告を聞きながら、あたしは素早くスティックを操作する。
コンマ秒のラグがあって、白熱するプラズマ弾がTA-29のすぐ脇を掠め飛んでいく。模擬戦ということで、出力は通常の数パーセントに抑えられてはいるけれど、それでも実弾であることに変わりはない。少なくとも、このスリルは実戦並みだ。
「狙いも正確。加速性も良い。……これは手応えありそうね」
「はい。スペック値の比較では、本艦よりも一割から二割ほど加速性に優れているようです。インパルス砲の出力も同様に強化されています」
「ならば、その性能差を打ち消してやれば、互角に戦えるわけだ」
そう呟くあたしの視線の先には、視界を完全に埋め尽くす巨大なガス惑星があった。
あたしたちが模擬戦闘をやっているロバート・L・フォワード総合火力演習場というのは、ひとつの恒星系全体を丸ごと含む、極めて広大な施設(という表現が適切なのか、少し悩むところなんだけど)なんだ。それを更に幾つもの細かいエリアに区切って――と言っても、直径一天文単位とかは当たり前の世界だぞ――それぞれを演習場として使っている。
いかにも30世紀らしい何とも気宇壮大なお話だけど、TX-21の実戦テストをやる上で、これ以上に打ってつけの場所というのは、そうそうないと思う。
何しろ恒星系が丸ごと演習場になっているわけだから、誰に遠慮することなくインパルス砲も次元転換魚雷も撃ちたい放題だ――てなことを演習前のブリーフィングで言ったら、リオン提督がすごく困ったような顔をしていたけどね。
ともあれ、模擬戦闘用に割り当てられた空域のど真ん中に鎮座する超木星級ガス惑星「PGR2517」へ向けて、あたしはTA-29の舵を切った。
> SYSAD
「TA-29、転進。PGR2157へ向けて加速中です」
サポートAIの報告に、コクピットの中のハルカは小首を傾げた。
「いったい、何を?」
しばし考えを巡らせてみるが、ハルカには皆目見当もつかなかった。
あの山本洋子のすることだから、何かしらの理由があるには違いなく、単純な逃げではないだろう――とは思う。だけど、それ以上を推し量るには、ハルカはプレイヤーとしてあまりにも未熟であったのかもしれない。
「……考えてても始まらない。とにかく、TA-29を、洋子さんを追いかけないと」
自らに言い聞かせるように呟いて、ハルカはTX-21を加速させる。
たちまち、周囲の景色が彼女の背後へと流れ去っていった。
> YOHKO
あたしは、TA-29をPGR2157の大気上層面すれすれに飛ばしながら、後方を確認する。
ちゃんとTX-21が追いかけてきてくれていることに、思わず小さなガッツポーズをしつつ、スロットルをレッドゾーンへ叩き込む。
TA-29を加速させながら、あたしは眼下に広がる濃密な惑星大気に目をやった。
猛烈な勢いで褐色の雲が流れ、その隙間には強烈な閃光が見え隠れしている。
「ねぇ、アソビン教授」
「何でしょうか、ミス・ヨーコ」
「今更こんなこと訊くのも何だけど、この中に入っても大丈夫よね?」
「この中というのは、PGR2157の雲海の中ということでしょうか」
「そういうこと。……随分と荒れ模様みたいだから」
「確かに、眼下は最大風速が秒速500メートルを超える、凄まじい嵐です。しかし、TA-29の船体は、より過酷な環境にも耐えうるように設計されております。ご安心下さい。ただし、雷の影響で一部のセンサー系の機能が低下してしまいますが。現在の高度でも、既に若干の影響が出始めています」
「なら、いいわ。……そのセンサー系の問題って、TX-21にも同じことが言えるわけよね?」
「その通りです、ミス・ヨーコ」
アソビン教授の答えは、あたしを満足させるに充分なものだった。
あたしはほんの僅かに残っていた迷いを振り捨てて、スティックとスロットルを握る手に力を込める。
「アソビン教授。緊急加速用のペレットを使用して、一瞬でもいいから、TX-21を振り切れない?」
「一瞬ならば可能です。ただし、加速力は向こうが勝っていますので、すぐにその効果は打ち消されるものと思われます」
「一瞬でいいのよ。……5秒後にペレットを焚いて、緊急加速。それと同時に高度を下げて雲海に潜るわ」
「了解しました」
アソビン教授の素直な返答が心強かった。
「……4、3、2、1……GO!」
> SYSAD
その瞬間、TA-29の船体後部に装填された48個の緊急加速用の炸薬ペレットが一斉に点火された。文字通り、爆発的な推進力を得て、TA-29は猛然と加速する。
と同時に、眩いばかりの光芒と爆発の衝撃で撒き散らされた濃密なガスが、TA-29を追撃していたハルカの視界を遮った。
「な、何事!?」
目の前で起きた出来事に、ハルカは思わず叫んでいた。
何が起きたのかを理解するよりも先に、驚きの言葉が口をついて出た。
「TA-29が緊急加速を行いました」
TX-21のサポートAIが実直に答える。
「緊急加速?」
「はい、炸薬ペレットを使用したようです」
「そんな、どうして……? いや、それよりもTA-29の現在位置は?」
「目標、失探しました。現在位置不明」
「ロストした? こんなに近いのに、なぜ……」
「惑星重力場と惑星大気内の猛烈な雷の影響で、センサー系が完全に機能しておりません」
サポートAIの返答に、ハルカは思わず唇を噛んだ。
――さすが、洋子さんだ。
ハルカが、タイラント艦隊のプレイヤー養成課程に在籍し、候補生として戦艦のプレイヤーを目指すようになったのは、ホロビジョン越しに見たTA-29の活躍がきっかけだった。鮮やかな青と白に塗り分けられた新鋭戦艦のプレイヤーが、山本洋子という少女であると知ったとき、ハルカにとっての洋子は単なる憧れではなく、追いかけるべき目標に変わったのだった。
その洋子と模擬戦闘で対戦することができたことに、ハルカは改めて感謝した。
「それにしても、いったい洋子さんは何を考えているんだろう?」
ハルカは思わず声に出して呟いていた。
TX-21との性能差を打ち消すために、このガス惑星上に戦場を移したらしい――というところまではわかったが、その先が読めなかった。
PGR2157の大気上層面に沿って艦を飛ばしながら首を捻っていたハルカだったが、突然鳴り響いた警報音に思考を中断させられた。
「相対方位090-096より、高エネルギー反応、多数接近中!」
サポートAIの警告に、ハルカが右舷側の空間に注意を向けると、そこには視界を埋め尽くさんばかりの夥しい光点があった。
「!!」
それがインパルス砲から放たれたプラズマ弾であると気付いたときには、TX-21の右舷に数発のプラズマ弾が着弾していた。訓練用に出力を相当抑えてあるから、物理的には大したダメージではないが、当たり判定が設定されているため、一定以上の数が命中すると模擬戦闘は強制終了されてしまう。そう何発も食らうわけにはいかないのは、実戦と同じだ。
「くっ……」
殆ど反射的にスティックを操作して、ハルカは艦をダイブさせた。惑星大気に艦底が接触し、褐色のガスが舞い上がる。そうこうしている間にも、凄まじい数の光弾がTX-21の近傍を飛び去っていく。中には着弾するものもある。
「このおッ!!」
弾雨をかいくぐりながらハルカは艦を回頭させると、TA-29に狙いを定めた。
ハルカが主砲のトリガーを引き絞ろうとした瞬間、目前のホロビューに無情なメッセージが表示された。
――TIME OVER
その文字列は、模擬戦闘の終了を告げていた。