パドック艦メオ=44 ブリッジ
突然、ブリッジの照明が消え、そして非常灯に切り替わった。
薄暗いブリッジの中で、誰もが訝しげな視線を交わす。いったい何が起きたのか、すぐに把握できる者はいなかった。
「……あれ?」
管制官のひとりが、そんな声を上げて首を捻った。
「どうした?」
「パドック艦のメインシステムの処理能力が大幅に低下しています。現在は緊急事態モードに切り替わっていて、艦内の生命維持を最優先とし、差しあたって不必要と判断されたエネルギー供給を制限しているようです」
「それで、非常灯か」
管制官の答えに、オットーが他人事のようなに呟きを漏らす。
「オットーさん、大変です!」
先ほどから自分のコンソールを操作していたフライヤーが、そう叫んだ。
「ドラーダGTの論理推論数が加速度的に増加しています」
「それが……」
どうした?――と言いかけて、オットーは瞠目した。
「ドラーダGTが、パドック艦とのデータリンクを使って、この艦のメインシステムの帯域の一部を膨大な推論処理に利用しているんです。どうします、オットーさん?」
フライヤーはそう言って、オットーの判断を求めた。
「あと、どれくらいで本艦の維持に支障が出ると思う?」
「わかりません。が、ドラーダGTの論理推論数は、今も増加中です。このペースで増えたとすれば、あと5分以内にメインシステムが緊急事態モードのフェイズ1からフェイズ2へ移行するのは、まず間違いないかと」
「そんなに短いのか!?」
驚くオットーに対して、フライヤーは自らのコンソールに表示されるデータを示してみせた。
そこに描かれるグラフは、ドラーダGTの根幹とも言うべきAIの論理推論数に関するものだった。はじめは比較的単調な曲線を描いていたはずのグラフが、あるときを境に複雑さを増し、それはカオス的な様相を呈しつつあった。
グラフを眺めている間にも、そのグラフは複雑性を加速度的に増加させ、もはやグラフと呼ぶのも躊躇われる奇妙な三次曲線の連なりへと変化しつつあった。
「……今までになかった論理推論項目が、新しく追加されているのか!?」
「そうです」
フライヤーは短く応えた。そして、これ以上言うべきことはない、というように口を閉ざす。
オットーは言った。
「ドラーダGTは、まだ進化しつづけているというのか……」
もしそうだとすれば、それは喜ぶべきことだった。だが、このままの速度でドラーダGTのAIの論理推論数が増加を続ければ、それほど間を置くことなく、メオ=44のメインシステムではサポートしきれなくなる。それが何を意味するか、オットーとフライヤーはよく知っていた。
「ドラーダGTとのリンクを全てカットオフ!」
オットーは押し殺した声でそう告げた。
それは、ドラーダGTを人間の制御下に置くことの断念の表明に他ならない。オットーにとっても苦渋の決断であることは間違いなかった。
フライヤーがコンソールを素早く操作し、ドラーダGTとの間で結ばれていた全ての通信回線を切断。ドラーダ側から接続できないように、音声および映像通信に不要なプロトコルを無効にし、ポートを閉鎖する。
それらの処理は、ほんの数十秒で終了した。
処理の終了と同時に、ブリッジの照明が回復し、元の明るさが戻った。
「これで全てカットオフしましたが、ドラーダGTの演算処理が止まるわけではありません。私たちは、ドラーダからの侵蝕を防いだと同時に、彼をコントロールする手段をも放棄したわけですが……。どうされますか」
そう訊ねるフライヤーに対し、オットーはいつものポーカーフェイスのままで唸るように言った。
「ドラーダGTは、破壊する……」
「…………」
「これ以上、事態が進行することは何としても避けなければいけない。ドラーダGTは、集くんたちに破壊してもらうしかないな……。今のドラーダGTの様子は?」
「特に異状は見られません。光学観測結果を見る限りでは、加速運動はしていないようです。推進機関を停止しているものと推測されます」
オットーの問いに、管制官のひとりが応えた。
つまり、考え中――というわけである。
「わかった。……転送器班!」
オットーは、シートに取り付けられたマイクを掴むと、転送器班を呼び出した。
『こちら、転送器班』
「オットーだ。バブルボードシステムのリンク状態を報告してくれ」
『は、はい……。現在はこれといった問題はありません。正常です』
指向性スピーカーを介して緊張気味の声が返ってくる。
「わかった。今後、何か異状があれば、すぐにブリッジへ報告してくれ」
『了解しました』
「オットー様、どういうつもりです?」
そう口を挟んできたのは、ミザリーだった。
「僕だって、好きこのんでやっているわけじゃあない!」
「…………」
「本当なら、ドラーダGTの変化――成長と言ったほうがいいかな――は喜ばしいことなんだけどね……。こちらの想定を超えて加速度的な変貌を遂げつつあるAIを捨てるのは勿体無いけど、如何せん、この艦のシステムではドラーダGTのAIについていけない。だから、ドラーダGTとのリンクを切るしかない。そうなれば、ドラーダGTはエネルギーの続く限り独自の成長を続けるだろう。無論、それはそれで面白そうだけど、そうした歯止めも効かず、将来予測も出来ないものをこのまま放っておくわけにもいかない。ドラーダGTの開発者としては、断腸の思いなんだけどね。今回は、艦の責任者としての立場を優先させて、取りあえずログだけで我慢しなくちゃいけないみたいだ」
そう言われては、ミザリーとしても食い下がる理由はなかった。
「それにしても、こんなことになるんだったら支援システムをもっと強化しておくんだったなぁ」
オットーはそう言って自分の頭をなでる。
「まぁ、過ぎたことを言っても始まらないな。さぁて、集くんたちと連絡を取ってくれ」
オットーは通信担当の管制官にそう声をかけた。
「最悪の状況になる前に手を打たないとね」
ブリッジのメインホロビューを見上げながら、オットーは誰に言うともなくそう呟いた。
※
『何ですって!?』
「だからね、君たちの対戦相手であるドラーダGTに原因不明のエラーが起きてしまったんだよ。このまま放っておくと、いろいろマズいんだ。幸いなことに今は動きを止めている。なるべく早く、君たちの手でドラーダGTを撃破してもらいたい」
突然の指示に、集たちは面食らった。
訓練から実戦へと唐突に切り替わってしまったのだ。
やっていることは同じでも、気分的なものは全然違う。
『わかりました』
集は、まだわだかまりを残したままの表情で、そう応えた。
「よろしく頼むね」
オットーはそう言ってから、集との通信を切った。
「オットー様、目標の軌道に変化が見られます」
ドラーダGTの光学観測を続けていた管制官がそう報告してきた。
「というと?」
「ドラーダGTは加速を開始し、フェイズ2チームが展開している空域に向けて転進しました。約1分後に前衛のクロウフィッシュと会敵すると予想されます」
「ひゅう!」
横で聞いていたフライヤーが調子外れの口笛を吹き、ミザリーが頭を抱え、そしてオットーはポンと自分の頭を叩いた。
「へぇ、やる気満々って訳か。さしずめ第2ラウンドの開始ってとこかな?」
「オットー様……」
「なんだい、ミザリーくん?」
「……あのですね。もう少し緊張感を持ってください。ドラーダGTが翼さんたちに向けて転進したということは、継戦の意思があるということです。果たしてフェイズ2チームで抑えられるかどうかもわからないのですよ?」
「だろうね」
「…………」
ミザリーはオットーの科白に目眩にも似た感覚を覚えた。だが、副官としての使命感が、彼女を何とか踏みとどまらせる。
「ですが、何か私たちにもできることがあるのではないですか?」
「無いね」
オットーが間髪入れずに答え、フライヤーが重々しく肯く。
「それでは、このまま手をこまねいて見ていることしかできないのですか!?」
「……まぁ、そういうことになるのかな」
オットーは、鯉のように口をぱくぱくさせるミザリーを見やりながら、静かに言った。
「もう、あとは集くんたちに任せるしかないよ。君の言うこともわかるけど、僕らではどうにもならない。戦艦を止められるのは、同じように戦艦に乗る彼女たちだけなんだからさ」
そう言うと、オットーはシートに身を預けながら、メインホロビューに視線を移した。