パドック艦メオ=44近傍空域
バタフライフィッシュの全長は1300メートル。
この時代の戦艦としては決して大きい方ではないが、左右に張り出しているファランクスのために全幅が規格外のサイズになっており、規格通りに作られているドックへの出入りには細心の注意を必要とする。
といっても、注意するのはサポートAIの仕事であり、光に負担はない。
ただシートに座ってさえいればよいのである。
そんないつもと変わらぬルーチンな作業にも関わらず、光たちは緊張を強いられていた。
その原因は、フェイズ2チームとは反対方向へ艦首を向ける一隻の戦艦にあった。
『ドラーダGT』と呼ばれるその艦は、高度なAIによって制御される完全な無人戦艦であった。
戦闘行動の一切が自律型AIによって遂行されるというコンセプト自体は、決して目新しいものではない。むしろ、宇宙戦艦という兵器が宇宙戦闘における主力兵器の座を獲得した時点から幾度となく論議され、実用化を目指したプロジェクトだけを列挙するとしても、その数は両手ではとても足りない。
オットーも、ひとりの技術者として、無人戦艦の開発に興味を持ち、そして機あらば実行してやろうとさえ考えていた。『プロジェクトR』をきっかけとして、彼は従弟でありコンピュータ技術者でもあるメオ・ママンのフライヤーの協力を得て、この無人戦艦の開発を始めた。
そうして完成したのが、ドラーダGTなのである。
戦闘用AIの学習には多くの時間を費やしたとはいえ、艦そのものはロールアウトしたばかり。まだまだ細かい調整が必要であり、目指す完成形には程遠い。だからこそ、オットーはドラーダGTに――いや、正確にはドラーダGTに搭載されているAIに――実戦を『経験』させる必要性を感じていた。
一度の実戦は数百回のシミュレーションに勝る。
散々使い古されて、もはや擦り切れてしまっているような言葉だったが、兵器を開発する者にとっては決してなおざりにできぬ重みを持っていた。
どれだけシミュレーション・プログラムがその精度を増しても、現実の空間では常に想定外の事態、予期せぬエラーが発生する。それが戦場ならば尚更だった。そのイレギュラーなシチュエーションに対応するためには、何が起きるかわからない現実の戦場を経験し、それを乗り越えなくてはならない。それが人間であろうと、ロボットであろうと、変わりはない。
少なくとも、オットーはそう考えていた。
そういった視点で見るとき、個性的な性能を持つフィッシュシリーズの各艦と、それらの艦を自在に操る翼、集、光、木葉の4人は、AIに戦闘経験を積ませるにはこの上ない相手と言えた。
それだけではなく、オットーは今回の模擬戦が翼たちにとっても貴重な経験になることをも期待していたのだが……。
「いやあ、遅くなってすみません」
そう言いながらブリッジに入ってきた長身の男が、フライヤーだった。
ゆったりしたサイズの服を着用しており、そのせいで痩せぎすの身体がより強調されていた。
「調整はうまくいったかい?」
オットーが声を掛ける。
「まぁ、何とか。多少は遊びを持たせていますから、これまでのシミュレーションよりは柔軟な行動ができると思いますよ」
「そうか。じゃあ、かなり期待できそうだね」
「ええ。少なくとも仮想空間の中では十分すぎるくらいの戦闘経験を積んでますからね。それが実戦に反映されるかどうか、お楽しみってとこですよ」
フライヤーはそう応えながら、ブリッジ内に与えられた専用コンソールに陣取る。
「うん。これがうまく行けば、フェイズ4も一気に進展するな」
そう呟いて、オットーはメインホロビューを見上げた。
そこにはメオ=44から離れていくドラーダGTとフィッシュシリーズ艦の姿が映し出されていた。
宇宙空間
メオ=44を離床した『プロジェクトR/フェイズ2』の戦艦群は、パドック艦から約5光秒離れた空域に展開しつつあった。
集の乗る狙撃戦艦アーチャーフィッシュを中心とした扇形の平面上に各艦が移動していく。
アーチャーフィッシュの直衛に装甲戦艦バタフライフィッシュがつき、その前方に格闘戦艦クロウフィッシュと攻撃空母サンフィッシュが位置する。極端なまでに一点特化した性能を持つフェイズ2チームの戦艦の特性を活かすためのフォーメーションである。
フィッシュシリーズと通称される『プロジェクトR/フェイズ2』の戦艦群は、NESSとTERRAの技術が高次元で融合した高性能艦であり、それぞれがTERRAのTA−2系列艦にも匹敵するポテンシャルを持つと目されていた。
しかし、性能面を追求することに躍起になったせいか、実際の運用法や戦術面の熟成が不十分なまま、実戦に投入されたという経緯を持っていた。そんな状況から、集たちが試行錯誤の末に辿り着いたのが、防御を固めつつ接近する敵を各個撃破するという戦術であった。これならば、それぞれの足りない部分を補い合いながら、長所を存分に発揮することができる。
「準備はいいね?」
そう問うたオットーは、四人が頷き返すのを見て、満足げな表情を浮かべた。
「よし、それじゃ始めよう!」
その掛け声と共に『30』という数字がコクピットのメインホロビューに表示された。
数字はひとつずつ減っていき、やがて『0』になった。
先に動いたのは、ドラーダGTの方だった。
「目標が加速状態に入りました。約20秒後に有効射程内に入ります」
サポートAIの報告を受けて、集が素早く指示を出す。
「翼さんは加速して、目標に接触。こちらの射程へ誘導してください」
「言われんでも、わかっとるちゃ!」
ぶつぶつと文句を言いながら、翼がクロウフィッシュを加速させる。
「木葉さんは目標の背後に艦載機を回り込ませて、追い立てるようにしてください」
「ほな、行きますえ」
サンフィッシュの艦載デッキが大きく展開し、一斉に数百機の艦載機が射出される。その様子は、まさに壮観と呼ぶに相応しい光景だった。
「えと、私は?」
「わたくしのアーチャーフィッシュの護衛をお願いしますわ」
「ですよね」
そう応えてから、光は小さく溜息をついた。
――やっぱ、あたしの艦は前に出ていくように造られてないし。ここはじっと我慢かな。
そんな光の気持ちを見透かすように、集が口を開いた。
「焦っていても何にもなりませんわよ、光さん。相手は一隻なのですから、落ち着いて対処しましょう」
「…………!」
「どうしたんですの?」
視線に気付いた集が首を傾げる。
「いえ、今日の集さんは優しいなぁと思って」
そう言ってしまってから、光は自分の言葉が不用意だったかと、ちょっと首をすくめた。
が、唐突にそんなことを言った光に対し、集はただ少し訝しげな表情を返しただけだった。
そうこうしているうちに、クロウフィッシュとドラーダGTが早くも接触しようとしていた。
「行けぃ! 重力アンカー!」
勢いよく叫んで、翼は2基の重力アンカーを発射した。
淡い燐光とともに重力子がドラーダGTを捉え、そして引き寄せる。
ここまでは手筈通りだった。
だが、そのまま後退しようとした翼は予想外の展開に慌てなくてはならなかった。
何とドラーダGTは、重力アンカーに抗うどころか、重力に引かれるに任せてクロウフィッシュ目掛けて加速してきたのである。
確かに、理屈の上ではその方が重力アンカーから逃れやすい。
しかし、それは敵の射程に自分から飛び込むということと同義であり、真っ当なプレイヤーが採用するような戦法ではないのも、また事実であった。
「なっ!?」
目を丸くする翼を後目に、ドラーダGTはクロウフィッシュへと急接近。その軌道は明らかに直撃コースを描いていた。
「こなくそッ!」
翼は慌ててトリガーを引き絞る。重力アンカーに内蔵されたインパルス砲が火を噴き、高温高圧のプラズマ弾がドラーダGTへと殺到する。
だが、次の瞬間、翼は目を瞠った。
コバルトブルーの輝きがドラーダGTの白い艦体を包み込み、プラズマ弾を見事に防いでみせたのだ。
「ヴェイパーシールド!」
驚きの声をあげたのは、光だった。
――これは、まどか先輩と同じ……。
そう思ったときには、クロウフィッシュはドラーダGTの『バレルロール』を食らって弾き飛ばされていた。
「……あの、オデコの技を使ったちゃか!?」
「そのようですわね……」
呆然と呟く翼に、集も驚きを隠さずに答えた。
「速い! ドラーダのスピードが速すぎて、木葉ちゃんの艦載機が追いつけてませんよ!」
広域センサーで戦場の様子を確認していた光がそう叫んだ。
「木葉さんは艦載機を回収しながら、こちらに合流。あとはこちらで対処します」
「任せたえ。集姉ちゃん」
木葉の返事を聞いた集は、サポートAIに向かって訊いた。
「目標が射程に入るのはいつですの?」
「約5秒後に主砲の有効射程内に入ります」
とんでもないことをサラリと言ってのけるサポートAIの無機的な声に、いささかの苛立ちを感じながら、集は主砲『R−4300/DD』の狙いを定めた。