第1話:RAINY DAY


 その日は朝から雨だった。
 北にあるニザム高地に南からの湿度の高い空気がぶつかるため、この時季のニザム高地南部一帯ではよく雨が降った。
「本国から新型が搬入されるってのに、ハッキリしない天気になっちまったなァ」
 ニザム高地南部の帝国軍基地で整備班長を務めるヘルマン・ビスマルク大尉は憂鬱そうに呟いた。
「そうですね。晴れと言わないまでも、せめて曇りくらいでとどめていてくれたらよかったですよね」
 背後に立つ整備員のラインハルト・コール中尉も重々しい口調で同意する。
 二人がそこまで天候を気に掛けるのには、十分な理由があった。
 ビスマルクたちが格納庫の鉄扉脇から空を見上げていると、若い整備兵が走り寄ってきた。彼はビスマルクの傍らで足を止め、そして報告した。
「大尉! 雨漏り発生です!」
「……よし、ありったけのバケツを用意しろ! それから、全員に持ち場につくように伝えるんだ」
 ビスマルクは帽子をかぶり直しながら、そう指示を出した。
「了解ッ! ただちに、雨漏り対策を開始します」
 整備兵は復唱すると、敬礼もそこそこに再び詰所へと駆け戻っていった。
 そう、この基地の格納庫はあまりの安普請のために、長時間雨が降るとすぐに雨漏りしてしまうという致命的な欠陥を抱えていたのである。
 格納庫内で日常の業務を遂行する整備班にとって、これは重大な問題だった。
 不幸中の幸いというべきか、この基地が戦線のはるか後方に位置していることがせめてもの救いではあった。もし前線基地であれば、雨漏りしているときに敵襲があったりしたら洒落にならない。もっとも、前線基地ならばこれほどひどくなるまで放っておかれることなどなく、すぐに然るべき補修が行われたであろうが……。
 エウロペ大陸に展開する帝国軍が慢性的な物資不足に陥っている状況では、屋根の修理も満足にできないことは仕方ないと諦めるしかなかった。
 コールは鉄扉の隙間に見える空をもう一度見上げた。
 濃灰色の雲が低く垂れ込めていた。
 雨は長引きそうだった。
 軽く溜息をついて整備班の詰所に向かう。
 その1分後には、彼もまた整備班と天井から滴る雨水との間で繰り広げられる激しい戦いの渦中へと身を投じていた。

「何やら騒がしいようだな」
 基地司令のピエール・アイスバッハ大佐は、そう呟いてから窓の外の景色が滲んでいることに気が付いた。
「……雨か」
 書類をめくる手を止め、窓の向こう側へと目をやる。
「グスタフの到着予定時刻は何時だったかな?」
 傍らに控える副官に向かって訊ねる。
「本日、1100時です」
 副官のリヒター・フォン・シュナイダー少佐が短く答える。
「そうか。それまでに降り止むと思うかね?」
「さぁ、どうでしょう? 何とも申しかねますが……」
「そうだな。……それはそうと、少佐は『ケイローン』の中間報告は読んだかね?」
「ええ。テストパイロットたちもなかなか梃子摺っているようですね。フレンツェン大尉も頭を悩ませていましたよ」
「うむ。予想以上に扱いの難しいゾイドのようだ。量産化は難しいだろうな」
「ですが、本日搬入予定の試作機は『ケイローン』と同一コンセプトだと言うではありませんか」
「しかも、無人機だそうだ」
 その言葉にシュナイダーは眉をひそめた。
「おや、少佐は気に入らないかね?」
 アイスバッハの問いにシュナイダーは首肯した。
「率直に申し上げるなら」
「そうか。実は、私も気に入らない。既に無人ゾイドそのものは量産化に向けて研究が進められているが、私個人としてはそのような計画には賛同できないな」
「そんなにはっきり申されますと、また上に睨まれますよ」
「なぁに、構わんよ。それに、ここより場末の部署もないだろう?」
「確かに……」
 シュナイダーは苦笑した。
 事実、そうなのだ。
 アイスバッハが司令を務めるこの基地は格納庫と事務所と待機室と寮を兼ねる、ただ一棟の建造物からなっていた。それは、エウロペ大陸の各地に設営された基地の中では最小規模のものと言ってよかった。なぜなら、この基地にはたった一個中隊しか駐屯していなかったからである。しかも、それは実戦部隊ではなかった。
 ガイロス帝国陸軍参謀本部直轄の実験部隊――第1実験ゾイド中隊が、この小さな基地の全てだった。この第1実験ゾイド中隊――通称『ワルキューレ隊』は、新型試作戦闘ゾイドの実用評価試験を行うための部隊であるというのが公式的な位置付けであった。が、実態は少し違っていた。
 誤解を恐れずに言えば、軍内部の反主流派の士官が飛ばされる先として北エウロペ大陸の辺境に作られた基地、というのがより現実的な、あるいはシニカルな見方だった。ワルキューレ隊の基地を指して「流刑地」と陰口を叩く、口さがない将兵たちも少なくなかった。
 しかし、ワルキューレ隊を構成するアイスバッハ大佐以下総勢35名のメンバーは黙々と与えられた任務をこなし続けてきた。この時期、ロクな評価試験もせずに実戦投入される試作戦闘ゾイドはあまりにも多く、この基地の存在そのものを疑問視する声もあったが、その一方で戦線へ投入するにはあまりにも実験的な機体をテストする恰好の場として相応の評価を与える者たちもいた。
 軍上層部とて一枚岩ではなかったのである。
 そんな中、彼らはある試作ゾイドの評価試験に従事していた。その試験が完了する前に、それと平行する形で新たなゾイドの評価試験を命じられたワルキューレ隊の心境は複雑だった。
「まぁ、いずれにせよ、我々は与えられた命令には従いますよ」
 シュナイダーは肩をすくめて言った。
「ああ、その通りだ。だがな、少佐。私はどうも今度のゾイドのことが気にかかるのだよ」
「……と申されますと?」
 シュナイダーが訊ねると、アイスバッハは一束の書類を引出しから取り出した。
「見たまえ。これが、司令部から送られてきた試作ゾイドの仕様書だ」
 そう言って書類をシュナイダーに手渡す。
 受け取ったシュナイダーは、その重みと厚みに先ず驚いた。
「何ですか、これ!? この分厚い書類全部が新型の仕様書なんですか?」
「ああ、そうだ。コードネームは『ケイローン・ツヴァイ』。新型の無人戦闘ゾイドだ」
「それにしても、途方もない分量ですね……」
 書類をぱらぱらとめくりながら唖然として呟くシュナイダーを見据えながら、アイスバッハは口を開いた。
「私も少し目を通したが、かなり複雑なゾイドのようだ。未知の部分も多いらしい。……何も起こらなければよいのだがな」
 まるで自らに言い聞かせるように、アイスバッハはゆっくりと言葉を押し出した。

「来たぞーっ!」
 整備兵の叫ぶ声に、カードゲームに興じていた3人のテストパイロットたちが待機室から飛び出してくる。格納庫を取り囲むキャットウォークから身を乗り出さんばかりの勢いである。
「来たのか!?」
「どこよ?」
「おい、アレだ!」
 開け放たれた格納庫の鉄扉。その向こうに駐機するグスタフの荷台には、巨大なコンテナがひとつ鎮座していた。
「思ってたより、でかいですね」
 パイロットの一人、クロード・ハンテルマン少尉が押し殺した声で言った。
「ああ、あれなら今テスト中のケイローンと同じくらいじゃないか?」
 同じくパイロットのエルンスト・ウーデット中尉も同意する。
「そうね。ケイローンが搬入されてきたときと同じサイズのコンテナだわ」
 そう言ったのはエヴァンゼリン・ヘックラー中尉だった。彼女はワルキューレ隊唯一の女性士官であり、才色兼備のパイロットとして整備兵たちの憧れの的にもなっていた。そのエヴァが顔を向けた先には、雨よけのビニールシートに覆われたケイローンの姿があった。
「そうだな」
 ウーデットはしたり顔で頷くと、再びコンテナを見つめた。
 いったいどんなゾイドが入っているのか、とても気になった。
 レインコートを着た整備兵が格納庫から飛び出し、コンテナへ向かって走っていくのが見えた。グスタフから降りてきた士官と何やら話しこんでいたようだが、その話もすぐに終わったようだった。整備兵たちはコンテナに取り付くと、表面の制御パネルを操作しはじめた。コンテナに入ったままでは格納庫に納まりきらないため、コンテナのハッチを開放してやる必要があるのだ。
「開くぞ」
 ハンテルマンが呟いた。
 その言葉通りにコンテナの外板がゆっくりと展開し、中から一体のゾイドが姿を現した。
「あれは、ケイローンそっくりじゃないですか!」
 ハンテルマンは驚きの声をあげた。
「確かに。でも、あの下半身はヘルキャットのものよ。ケイローンより一回りは小さいわね」
 エヴァが素早く指摘する。まさしく、その通りだった。
 ヘルキャットの胴体にイグアンの上半身を継ぎ足した独特のフォルム。そして背中から生えるマグネッサーシステム内蔵と思しき翼。ケイローンとの類似箇所を挙げるのに、苦労はいらなかった。
「なるほどな」
 そう呟きながらウーデットは視線を上げ、そしてハッと息を呑んだ。
 見慣れぬ単眼のセンサーアイがこちらを見返していたのだ。
 それは、今までの帝国軍ゾイドにはない意匠だった。
「何だ。あの頭部は?」
 誰に言うともなく発した問いに、意外なところから答えが返ってくる。
「あの頭部は『ケイローン・ツヴァイ』のセンサーブロックだ」
 驚いて振り返ると、そこにはアレクサンダー・フレンツェン大尉が立っていた。
 彼はワルキューレ隊のテストパイロットたちのまとめ役で、テスト中隊の中隊長を務めていた。
「隊長。それでは、あの頭部はコクピットではないのですね」
 エヴァが訊いた。
「まぁ、そうだ。だが、そもそもあのゾイドにはコクピットがないんだよ」
「!?」
「つまり、無人制御されるゾイドということだ。詳細については、追って基地司令から話があるだろう」
 そう言ったきり、フレンツェンは口を噤んだ。
 言いたくないのか、それとも彼自身も詳しいことを知らないのか。
 そこまではわからなかったが、この場でこれ以上詳しい話が聞けないことだけは確かだった。
 ウーデットは、沈黙するフレンツェンの視線をなぞるようにして、もう一度『ケイローン・ツヴァイ』という名のゾイドを見つめた。
 相変わらず、そこには濃緑色の単眼があった。
 その無機的な瞳の中に深い闇が湛えられているような気がして、ウーデットは言い様のない胸騒ぎを覚えずにはいられなかった。


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