3-01:逢魔が時


 涼しげな風が吹き抜けていく。
 夕焼け空から色が消え、漆黒の闇が辺りを覆い尽くそうとする刻。
 昼から夜への転換点。
 妙な静けさが漂い、人の不安を掻きたてる。
 ――人と魔物が出逢う時間、と言われるわけもわかるな。
 クロード・リヒトホーヘン大佐は私室の窓から外を眺めつつ、そんなことを思った。
 ここは、北エウロペ大陸中央部の大砂漠『レッドラスト』の北端にあるガイロス帝国陸軍の前線基地。リヒトホーヘン大佐は、そこの基地司令を任されていた。
 この主戦場から離れたこぢんまりとした基地では、ある実験が行われていた。
 古代ゾイド人の遺跡付近で発見された一体のゾイドに関するデータ収集を目的としたもので、実験の存在自体が関係者以外には極秘とされていた。ゆえに基地内部でもその事実を知る人間は僅かだった。

 ウウウウウウウウウウウウウウウウウウ〜〜〜〜

 突如として鳴り響いた警報に、リヒトホーヘンの顔色が変わる。すぐさま卓上の内線電話に飛びつくと、受話器を掴んだ。
「どうしたんだ! 状況を報告しろ!」
『司令でありますか! 大変です。例のモルガが、モルガが暴走を……』
 受話器の向こうの声は、少しばかり上擦っていた。
「どういうことだ。落ち着いて話せ」
『……実験中に、例の遺跡で発見された大型モルガが勝手に動き出したんですッ!』
「なんだと!?」
 そう言いつつ後ろを振り返り、窓の外を見るが、実験棟は格納庫の影になっていて、基地司令の私室からは見ることができない。
 更に説明を求めようとしたリヒトホーヘンの目の前で、第3格納庫のシャッターが吹き飛んだ。
「!!!」
 そこから出てきたのは、砂漠戦用の迷彩を施した一体のモルガだった。ただのモルガではない。全長20メートルに達する、巨大なモルガなのだ。ガイロス帝国の研究者は、このゾイドに『アトラスモルガ』という名前をつけていた。
 だが、そんな名前のことは、今は問題ではなかった。
「誰も乗っていないのだろうな?」
『もちろんです。コクピットは完全に無人です!』
「そうか……。ともかく、あのモルガを拿捕しろ。イグアンを出せ。多少の損壊はやむを得ん。早くしないと基地外に出てしまうぞ!」
『了解。ただちにイグアンを出撃させます』
「急げよ。それから、出し惜しむな。今から私も戦闘指揮所に向かう」
『はっ!』
 受話器を叩きつけるように置くと、リヒトホーヘンは足早に部屋を出た。


「戦闘可能なイグアンは全機起動しろ!」
「爆装しているのは、どれだ?」
「1号機から6号機までですッ!!」
「7号機以下も弾を込めとけ!」
 イグアンが格納されている第5格納庫は、さながら蜂の巣をつついたような騒ぎになっていた。
 整備員が慌ただしく駆け回り、パイロットたちがスーツを着込みながら詰め所から飛び出してくる。飲みかけの茶がこぼれるが、誰もそんなことに気を留める余裕がない。何しろ目標はすぐそこにいるのだ。
「出てもいいか!?」
 愛機のコクピットハッチに手をかけながら、ベウマー少尉は傍らの整備員に訊ねた。
「はい、問題ありません。少尉の3号機は第一種待機状態でしたから」
「そうか。じゃ、出すぞ」
 そう言うと、ベウマーは素早くイグアンに乗り込み、イグニッションキーを回した。
 コクピットの各モニターに灯がともり、背部のフレキシブルスラスターバインダーがアイドリング状態に入る。
「803号機、出るぞ!」
 拡声器を使用して外へ呼びかけると、ベウマーはイグアンを一歩踏み出させた。そのまま、格納庫の外へ出て、目標を探す。既に戦闘指揮所から送られてきたデータが戦術コンピュータに入力されていた。
「あれが!?」
 ベウマーは一瞬、計器表示を疑った。
 だが、間違いなくメインモニターは正面のモルガを攻撃目標として表示していた。
「戦闘指揮所! どういうことなんだ。あのどでかいモルガを押さえろってのか?」
『その通りです、少尉。目標が基地外に逃走する前に停止させてください』
 オペレーターからの指示に、ベウマーは鼻を鳴らした。
「ちっ、簡単に言いやがる。何がモルガだ。レッドホーン並の大きさじゃねぇか」
 この基地には、大型ゾイドが一機も配備されていなかった。大型ゾイドは強力ではあるものの、そのサイズゆえに身を隠すということが苦手で、共和国軍が展開するゲリラ部隊にとっては射撃訓練の的も同然となっていた。当然、前線では大型ゾイドが不足する。補充は激戦区から優先的に行われるため、さほどでもない基地は後回しにされてしまいがちだったのだ。ここは幸か不幸か、その『さほどでもない基地』のひとつと数えられていたのである。
「来やがった!」
 ベウマーの乗るイグアンに気付いたアトラスモルガは急激な方向転換を行い、真っ直ぐに突進してきた。
 イグアンは左手に装備された4連装インパクトガンを連射したが、アトラスモルガの頑丈な装甲に弾かれ、ダメージを与えることが出来ない。
「なんてヤツだ」
 ベウマーは慌てて操縦桿を倒し、回避行動を取った。フレキシブルスラスターによる瞬間的な加速で、イグアンはアトラスモルガの進路上から素早く退避する。
 だが、それに追随するようにアトラスモルガは方向を変え、抉り込むようにイグアンに突進する。重量というものを全く感じさせない、実に俊敏な機動。まるで、地面に貼り付いているかのようだった。
「!!」
 気が付いたときには、ベウマーの乗ったイグアンは軽く30メートルは吹き飛ばされていた。もんどり打って、イグアンが地面に転がる。ベウマーもコクピットの中で頭をしたたかに打ち付けてしまった。いくらヘルメットをかぶっているとはいえども、ただでは済まない。
「くそぉ…………」
 歯がみしつつも遠退いていく意識。
『少尉、下がるんだ!』
 無線を通して飛び込む上官からの指示も、もはやベウマーの耳には届いていなかった。


「イグアン3号機、戦闘不能です」
「パイロットの回収を急げ」
 喧噪に包まれる戦闘指揮所にて、リヒトホーヘンはオペレーターの一人に指示を出した。それから、別のオペレーターへと向き直る。
「目標はどうだ?」
「イグアンと交戦中。……あ、目標、転進します。基地外へ向けて逃走する模様ッ!」
「イグアンでは追撃できないのか?」
「速力で及びません。そもそも目標の最高速度は時速300キロメートルを超えているんですから」
「そうか、そうだったな……。やむを得ん。サイカーチスを出撃させろ。何としてでも、ヤツを取り押さえるんだ! 破壊しても構わない」
「了解。サイカーチスを出撃させます」
 すぐさま格納庫から緊急時に備えて待機していた3機のサイカーチスが引き出され、訓練通りの手際で、着実に発進準備が整えられていく。
 命令より3分後。フェンスを突き破って基地外へと脱したアトラスモルガを追って、サイカーチス小隊が基地を飛び立った。
 既に、辺りは漆黒の闇に覆い尽くされていた。


INDEXNEXT>

Personal Reality