「う〜〜〜〜ん……」
ローソンはエスタナトレーヒ内の私室で腕組みをして低く唸った。
彼の目の前では、エリクソンから送られてきた『ティターンズリング』のデータと、まどかたちの体験をまとめたドキュメントが踊っていた。
「ローソンさん、どう思いますか?」
ホロビュー越しにエリクソンがそう訊ねる。彼はまだニケのブリッジにいた。
「どう、って言ってもね……。断定的なことを言うには、あまりにもデータが少なすぎるからなぁ」
「慎重ですね」
エリクソンが少し揶揄するような口調で、そう言った。
「もちろん。僕はいつでも慎重だよ」
真面目な顔でそう応えると、ローソンは再び『ティターンズリング』のホロビューを見つめ直した。
おとがいに手をやり、じっと考え込む。
「……やはり、ワームホールかな……」
長い沈黙のあとで、ポツリと呟いた。
「ローソンさんも、そう思われますか」
エリクソンが興味深そうな視線を投げかける。
それを軽く受け止めながら、ローソンは躊躇いつつも口を開いた。
「うん。固定化した疑似ニュートン空間かとも思ったんだけど、まどかくんと紅葉くんの報告にある、司書の説明から考えるとワームホールの一種と見る方が妥当じゃないかと思うんだ」
そこまで言って、ローソンは赤みがかった髪の毛を掻きむしった。
「……ただ、わからないのは、どうやってワームホールの潮汐効果を打ち消しているのか、ということなんだよ。僕たちの知る限りでは、ワームホールというのはせいぜい素粒子程度しか通過を許されることのない極めて過酷な環境だ。戦艦が2隻も侵入して、無傷で出てくるなんてことは、とても考えられない」
「しかし……」
「いや、わかっているんだ」
何か言いかけたエリクソンを手で制しつつ、ローソンは続けた。
「観測された事実は重要なデータだ。これは動かし難い。それにワームホールを安定化させるための理論は――仮説のレベルでなら――既に千年前に提案されていた。オールドタイマーが一枚噛んでいるとなれば、何が起きても不思議じゃないさ。彼らが、僕たちには考えつかない――あるいは到底不可能だと思えるような手法で、ワームホールの安定化という命題を何万年も前にクリアしてしまっているということは、充分にありうることだ」
「ダイソン球殻天体なんか、いい例ですよね」
エリクソンがそう言って頷いた。
「そういうこと」
「ところで、『ティターンズリング』なんですけど、どういう仕組みで『回廊』へ接続していたんでしょうか」
エリクソンの問いに、ローソンはニヤリと笑ってみせた。
「原理的には簡単なことだよ。大質量の物体を高速で円運動させ、空間構造に歪みを生じさせる。そうやって、既にある異次元空間――おそらく、ワームホール――と通常空間とをくっつけるんだ。例えば、紙の上に二つの点を描き込んだとする。放っておいたら、二つの点はいつまでも離れたままだが、紙をくしゃくしゃに丸めてやれば、二点間の距離は限りなく近づく。あるいは、接触することだって考えられる」
「そんな、大雑把なことなんですか?」
「まぁ、簡単に言えばね。本当はもっと精密な制御を行っているはずだけど、原理としては、それであっているはずだよ」
ローソンは、まるで何でもないことのようにそう言ってから、首の後ろで手を組んだ。
「けれど、原理的には簡単なことでも、それを実現するためにはどれだけの技術的バックボーンが必要となるか。とても想像がつかないな。サーフィングみたいな瞬発力勝負の力業ではなく、数万年単位の耐用年数を誇る大規模事業なわけだからね……」
そう呟き、ローソンは静かに目を瞑った。
その表情を見ながら、エリクソンもオールドタイマーに思いを馳せた。そして、ピッタリと動きを止めてしまった『ティターンズリング』の再調査を申請すべきかどうか考えた。
※
noyssのパドック艦、セイヴァーA。
戦闘が終わって一時間以上が経過した今、そのブリッジにはマーカスとアロイスの二人だけが残っていた。
「やはり、無人艦ではダメでしたね」
アロイスがぼそっと呟いた。
「……うむ」
さすがのマーカスも、その事実は認めざるを得なかった。
完敗。
全滅。
言葉はともかく、ろくにダメージを与えることもなく撃沈されたという事実は動かしようがなかった。
「まぁ、元々『ファントム』の戦闘プログラムなど、緊急時のおまけみたいなものだからな!」
マーカスは自らを元気づけるようにそう言うと、指揮官シートからゆっくりと立ち上がった。
「さっきと言ってることが全然違うじゃないか、パパ……」
アロイスが呆れたようにそう言うと、マーカスは豪快に笑ってみせた。
「ははははは、気に病むことはないぞ!アロイス! 取り敢えず、戦闘時のデータは収集できたのだから、全くの無駄だったわけではない。確かに、遺跡のデータを入手し、それをネタにレッドスナッパーズと対戦するというプランは立ち消えになったが、今回の戦闘で手に入ったデータはオットーくんとの取引の材料に使えるからな!」
そう言って、再びマーカスは大笑した。
切り替えの早いマーカスを横目で見ながら、アロイスは深い溜息をついた。
※
「見てみぃや、まどかちゃん。あの忍者くん、結構活躍したみたいやで」
紅葉が携帯用のホロビジョンを見ながら、同じ部屋で寝転がるまどかに声をかけた。
ここはキャラウェイからエスタナトレーヒへと向かう臨時連絡船の船室だった。行きと違って、帰りは個室があてがわれ、クライフは隣の船室にいるはずだった。
TA−23とTA−25を回収したニケは、すぐにキャラウェイに帰還した。キャラウェイでは、まどかと紅葉、クライフを作戦行動中のエスタナトレーヒへ送り届けるための連絡船が待機していた。それに乗り込み、3人は一路エスタナトレーヒへと向かっていた。
紅葉が覗き込んでいるホロビジョンは船にあらかじめ用意してある備品のひとつだった。紅葉は幾つかのプログラムを切り換えているうちに、偶然洋子たちの戦闘を中継するプログラムを見つけてしまったのである。
そこには、高橋誠のTA−29Rが参加したテスト戦のリプレイが繰り返し映し出されていた。地味なスーツを着込んだ実況担当者は、これはWASCO管理下の戦闘における最短交戦時間の記録更新であると、いささか興奮気味にまくし立てていた。
「ふぅん」
まどかはホロビジョンを一瞥すると、まるで気のない返答をよこした。
出立前に少し挨拶しただけの少年が多少活躍したところで、まどかにはどうでもいいことだった。今は、別のことが頭から離れなかった。
「どしたん? こういうのって、気になれへんの? ……あ、さっきのことかいな?」
「そうよ。何だか妙な気分になっちゃって」
まどかの言葉に紅葉は首を傾げた。
「妙? そら、どういうこっちゃ」
「この宇宙の奥には、オールドタイマーの築いた『回廊』があるのよ? そんなこと、今まで考えてみたことすらなかったのに。一体、この宇宙には、あたしたちの知らないことがどれだけあるのかしら……。本当に、宇宙は謎に満ちているのね」
「あははははは……」
それを聞いた紅葉が弾けるように笑い出した。
「紅葉! あたしはね……」
おでこに血管を浮き立たせかねない勢いでムキになるまどかをなだめながら、紅葉は苦笑を浮かべた。
「ああ、悪い悪い。別にバカにしたわけやないねん。妙に詩的な言い草やったもんやから、つい、な」
「詩的……?」
「うん、まどかちゃんが言うの聞いとったら、なんや昔の人がタイムスリップして、現代の都市を見て呆気にとられとる――そんな感じがしてもうたもんやから」
「……かもしれないわね……」
「やろ? 自分の理解を超えたものを目の当たりにすると、人は詩人になる――なんか、そんな言葉があったような気もするけど、ちょうど今のまどかちゃんがそうなんとちゃうかな」
「詩人? あたしが?」
「そうや」
二人の間に沈黙が降りた。
それは決して気まずいものではなく、むしろ温かみある沈黙であった。親しい間柄であれば、語るときに常に言葉を必要とするわけではない。換言すれば、そういうことだった。
やがて、船内通信の呼び出し音が船室に鳴り響いた。
「はい」
近くにいたまどかが点滅を繰り返すスイッチに触れた。
すると、部屋の壁に15インチモニター程度の大きさのホロビューが開いた。
「本船は、まもなくエスタナトレーヒへ着艦します。ミドー・マドカ様とカガリヤ・モミジ様は、降船の準備をなさっていて下さい」
女性係員が慇懃な口調でそう告げた。
「わかりました」
そう答えて通信を切ると、まどかは船外風景を映し出す壁面のスイッチを押し込んだ。
たちまち、壁いっぱいにエスタナトレーヒの巨体が投影される。
その光景を見ながら、まどかと紅葉は不思議な安心感に包まれるのを感じていた。
※
エスタナトレーヒに戻った二人は、リオン提督への簡単な報告を済ませ、喫茶コーナーへと足を向けた。
20世紀へ戻るにしても、高ぶった気分を落ち着けてからにしたかった。
喫茶コーナーと言うと慎ましやかな印象を与えるが、都庁展望台の喫茶コーナーと比べると、エスタナトレーヒのそれは床面積において軽く100倍を越える大規模なものである。ドリンクの種類も豊富で、アルコール類を除く、ありとあらゆる飲み物が網羅されていると言ってよかった。
飲み物を注文するためにカウンターへ向かおうとするまどかと紅葉を、よく聞き慣れた声が呼び止めた。
「まどか! 紅葉! 早かったじゃないの!」
声の主は洋子だった。綾乃も傍にいた。
まどかと紅葉は顔を見合わせると、急いで洋子たちの座るテーブルに走り寄った。
「何を、そんなに急いでんのよ?」
訝しげな表情を向けてくる洋子に構わず、二人はまくし立てた。
「聞いてや、洋子ちゃん。ウチら、めっちゃ凄いこと、体験してんで!」
「そうなのよ! もう、凄かったんだから!!」
困ったように肩をすくめる洋子の態度など、まるで眼中にない。とにかく話さないと気が済まない、といった感じだ。
「一体、どうされたんですか?」
そう訊いた綾乃の言葉をきっかけに、二人は堰を切ったようにそれまでの体験を話し始めた。
(END)