「どうしたのよ? そんなにダルそうにして」
綾瀬駅前の喫茶店で、あたしはまどかにそう訊ねた。心なしか、おでこの輝きにもかげりが見える。
「う〜〜ん、一種の虚脱感かしら? 夏コミも終わったし、なんだか気が抜けちゃって」
おいおい、宿題はどうした?
「まぁ、わからんでもないわな。ここんとこ戦闘の予定もあれへんし」
紅葉はそう言って同意してみせるけど、隣に座っている綾乃はきょとんとして、こっちを見返している。
「皆さん、そんなにお暇なんですか?」
「あたしは暇じゃないわよ。こういうときこそ、有意義にゲームをしないとね。最近やったヤツだと、PS2の『アーマードコア2』が面白かったわよ。『ガングリフォン ブレイズ』もよかったわね。NA−01と戦ってからというもの、人型メカとの戦闘になると、妙に燃えてしまうのよね〜〜」
「ウチはバイトがあるから、暇なんて言うとられへんわ。夏休みの間に、しっかり稼いどかへんとな」
「そうですよね! 私も修行に集中できて嬉しいです」
……やっぱり、綾乃はどこか違うな。
「まどかちゃんは、どうなんや? 趣味のサークルはどないしてん?」
「今は休みなの」
紅葉が気を利かせてみても、まどかはむっつりとしたままだ。
そんなとき、聞き慣れた単調な電子音が鳴り響いた。
ディメカムの呼び出し音だ。
あたしは、音声通信モードでディメカムに出た。こうすると、見た目はその辺の携帯電話か、PHSにしか見えない。
「何?」
どうせ、ディメカムで呼び出しをかけてくる相手なんて限られている。
「いやあ。元気かい、洋子君」
ローソンの明るい声が、隣で話しているみたいにクリアに聞こえる。次世代携帯電話も真っ青な(推定)、優れた通話品質だ。さすがは30世紀。
「前置きはいいから。どうしたの? いきなり呼び出して。戦闘?」
「そうじゃないんだ。君たちに見せたいものがあってね。時間があれば、こっちに来ないかい?」
「そうねぇ……。とりあえず、みんなの都合を確認して、こっちから連絡するわ」
「わかった。なるべく早めの連絡を頼むよ」
そう言って、ローソンは通信を切った。
「なんやて?」
「ん、見せたいものがあるから、暇なら来ないかって」
「折角ですから、行きましょう」
「そやな」
「まどかは、どうする?」
あたしは親切に訊いてあげた。
「……そうね。あたしも行くわ」
※
「やあ、よく来たね。もうすぐサーフィングに入るところなんだ。その辺の空いている席に、適当に座っていてくれないか」
あたしたちは、ローソンに勧められるままに、エスタナトレーヒのブリッジの一角を占拠した。
「ところで、見せたいものって何なのよ」
「それは見てのお楽しみさ」
ローソンはそう言って、勿体をつけた。それだけ大したものだといいんだけどね。
あたしは、オートベンダーでアイスココアを注文して、それを飲みながら待つことに決めた。まどかたちも、それぞれ好きな飲物を注文している。
「これより、サーフィング開始します」
管制官がそう報告する。
「サーフィング開始!」
リオン提督の指示の後で、エスタナトレーヒは超光速航法を開始する。
サーフィング、というのは超光速航法につけられた名前だ。何でも、アインシュタイン空間の上に疑似ニュートン空間を展開し、滑るように移動するとかいう、思いっ切り怪しげな移動方法だ。どこまで本当なのか、あたしにはわからない。
30世紀では光速突破なんて珍しくはないみたいで、別に緊張感に包まれたりはしない。実に淡々と作業が進んでいく。こういうときって、改めて自分がとんでもないところにいることに気付かされるのよね。
サーフィング中は、如何とも形容しがたい妙な感覚がつきまとうから、たとえ黙っていたとしても、サーフィングに入ったことがすぐにわかる。強いて言うとしたら、ジェットコースターに乗っていて坂を下り降りる瞬間の、あの感覚が近いかな。
「まもなく、サーフアウトします」
「サーフィング終了。本艦は通常空間に復帰しました」
「了解」
「各システム、正常に作動中」
そんなスタッフのやり取りをぼんやりと聞いていたら、ローソンが声をかけてきた。
「洋子君!」
「あ? 何?」
「見てくれ! ちょっとした天体ショウだぞ」
ローソンは、やけにうきうきした口調でコンソールを操作している。
やがてホロビューが切り替わり、外部の映像がブリッジのスクリーンいっぱいに投影された。
その映像にあたしは目を奪われた。
そう、あの降着円盤の映像だ。その美しさは筆舌には尽くしがたいものがあった。宇宙には慣れているはずの、エスタナトレーヒのクルーたちの間からも感嘆の声が漏れたくらいなんだから、推して知るべし、よね。
暗黒の宇宙をバックに、光が大きく渦を巻いている。パッと見た感じはそれだけなんだけど、よくよく見れば、恒星から流れ出しているガスが複雑な模様を作り出し、それが絶え間なく変化していく……。中心部からのバーストは、まるで光の噴水みたいだ。
「あれが、君たちが勝ち取ったブラックホールなんだよ。ぜひとも、君たちにこれを見せておきたかったんだ。降着円盤上に発電設備が建設されると、この自然の美しさを愛でることはできなくなるからね。そうなる前に君たちに見せてあげたいって、リオン提督と話していたんだ」
ローソンが、突然そんなことを語りかけてきた。
何の気なく、あたしが声の方を振り返ると、ローソンと目が合ってしまった。ローソンはいつもの笑顔だったけど、あたしはなぜだか胸の中が掻き回されるような気分がした。顔が熱くなるのが自分でもわかった。
「どうした、洋子君? 顔が赤いけど、熱でもあるのかい?」
……バカ……。
「放っておいてよ、もう……」
そう言って、あたしはもう一度降着円盤を見つめた。
そして、いろいろなことを思い出した。
「洋子さん」
気が付けば、すぐ隣に綾乃が来ていた。
「どしたの?」
「何だか、吸い込まれるような気がして……」
「そら、何でも吸い込むブラックホールやからなぁ」
紅葉がロマンの欠片もないことを言うけど、綾乃は構わずに続ける。
「だけど、それが怖いんじゃないんです。むしろ、こんなにも広大な宇宙で、皆さんと一緒に戦っていることが嬉しくて……」
綾乃はそう言って、屈託のない笑顔を見せた。
「そうね……」
あたしは、綾乃の言葉に頷いた。
「あたしが、綾乃や、まどかや、紅葉と、こうして、ここに立っているなんて、高校に入ったときは思いもよらなかった。でも、確かにあたしはここにいて、同時代の誰も見ることのできない光景を目の当たりにしているのよね……」
「まったくね」
まどかが小さく頷くのが、視界の隅に映った。
「そやな。しかし、この降着円盤を見とったら、なんや無心ちゅうか、清々しい気持ちになるなぁ」
「そうですね」
紅葉が照れながら口にした台詞に、綾乃が微笑む。
「宇宙の深淵を垣間見ることで、心が洗われます。まさに、明鏡止水の境地ですね」
綾乃が言うと、妙にしっくりくるセリフだな。
「ば……。ま、いいか……」
まどかが何か言いかけてやめた。
何が言いたかったのか知らないけど、何となくやめて正解な気がするわね。
再び、あたしたちは時が経つのも忘れて降着円盤に見入った。
……いつか、また、ここに来ることができたらいいな。
あたしは、心の底からそう思った。
その日がいつ来るのか。それとも永久に来ないのか。
そんなことは問題じゃなかった。
ただ、目の前の懐かしく、眩い光だけが全てだった。
(END)