プロローグ
その日、空まで燃えてしまうのではないかと錯覚するほどの業火が、冬木市新都の閑静な住宅街を焼き尽くした。
後に、死傷者五百名、焼失家屋百三十四棟という大災害であることが判明する惨事の現場を巡り歩きながら、衛宮切嗣は必死の思いで生存者を探し求めていた。
既に鎮火しつつあるとはいえ、広範囲に燃え広がった炎の余韻はあまりにも強く、熱気を孕んだ空気は、切嗣の身体と心を容赦なく痛めつけた。そうでなくても、切嗣は傷を負っているのだ。本来ならば、このような場所からは一刻も早く立ち去るべきなのである。
にもかかわらず、いるかどうかもわからぬ生存者を救出しようとする彼の態度は、まるで失った何かを懸命に取り返そうとするかのようですらあった。
「……!?」
辺りに充満する熱で朦朧となる視界の隅で、ふと何かが動いた気配があった。
もしかしたら、という希望。まさか、という諦念。それらが綯い交ぜになった心を抱えて、切嗣は気配を感じた方角へ足を向けた。
そうして辿り着いた瓦礫の陰に、一人の少年が横たわっていた。
切嗣は逸る気持ちを抑えつつ、少年の容態を確かめる。瀕死だが、まだ息はある。心臓も動いている。掌を通じて伝わってくる微かな鼓動は、この地獄のような世界において、何と力強く感じられることだろうか。
不意に切嗣の両目から滴がこぼれ落ちた。
それは、決して流すまいと決めていた涙に他ならなかった。
フリーランスの魔術師として自由な生き方を選んだ切嗣は、好むと好まざるとにかかわらず、その立ち位置を守るために多くのものを切り捨ててきた。
さる魔道の名門貴族に婿として迎え入れられてからも、切嗣は誰にも心を許すことなく、厳しく己を律してきた。自分の血を受け継いだ娘が生まれたときでさえも、手放しで喜ぶことはできなかった。人としての当たり前の幸せを感じるより先に、魔術師としての打算に満ちた思考が彼を束縛したからだ。娘を自らの立場を補強する新たな道具とみなす醒めきった思考――それが歪であると知りつつも、逃れることができない。それが、衛宮切嗣という男の有り様だったのだ。
そして、この冬木で行われた聖杯戦争に参加した切嗣は、持ち前の冷徹な行動力で、敵対する全てのマスターを手段を問わず排除し、最終的な勝者となった――筈だった。
ところが、彼の目の前に現れたのは、禍々しい呪いに満ちた黒き聖杯であった。
その汚染された聖杯を行使することによって引き起こされるであろう災厄を予見した切嗣は、残っていた最後の令呪を行使して、自らのサーヴァントに聖杯の破壊を命じた。
その結果、聖杯は確かに破壊された。だが、既にそこから漏れ出した呪いは炎となって周囲を破壊の渦に巻き込んでしまっていた。その一部始終において、切嗣はあまりにも無力だったと言えよう。彼に成し得たことはと言えば、業火をもたらしたマスターを殺し、サーヴァントを打倒することだけだったのだから。
だから、嬉しかった。
もう誰一人として生き残っていないのではないか。そう思うしかないような無惨な焼け跡で、運命に抗い必死に生きようとする命に出会えたことが、ただ訳もなく嬉しかったのだ。
であるがゆえに――
「ああ、よかった……」
切嗣の口をついて出た言葉は紛れもない本心であり、それ以降の彼自身の在り方さえ変えてしまう大きな契機となったのだった。
そして、それから十年の歳月が流れた……。
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