それは突然の出来事だった。
あの日、私は……いや、私たちは、片道千キロを超える長距離を無補給で飛行し、内陸部にある帝国軍基地を空爆するという特別任務に就いていた。
私が所属していた共和国空軍第六十七飛行中隊は、三個小隊からなる臨時編成の部隊だった。各小隊を構成するのは、軍へ納入されて間もない新型戦闘攻撃機『ガルフォリンクス』。ロールアウトしたての真っ新なゾイドが、予備機を含めて計十四機も配備されていた。
まだ一度も実戦を経験していないゾイドのみで臨時編成された部隊。それが何を意味するのかは、あまりにも明白だった。私たち隊員は、第六十七飛行中隊が実験的色彩の濃い部隊であることを敏感に嗅ぎ取っていたが、表だって口にする者は誰一人いなかった。
ガルフォリンクスは共和国軍が開発した軽量空戦用ゾイド……だったのだが、レイノスやストームソーダーとの模擬戦闘で一方的な敗北を喫したことから、制空戦闘機としての運用には耐えられないと判断され、攻撃機として制式採用されることになったという曰く付きの戦闘機獣だ。
機体が小型であるため、従来型のコクピットブロックは組み込めず、ライドオン式と称される、バイクのようにまたがって乗る操縦席を採用している。ゾイド乗り仲間には、この手の身体が剥き出しになる操縦席を嫌う者が少なくない。だが、私はガルフォリンクス特有の操縦システムを気に入っていた。確かにクセはあるものの、人機一体感の高さは他のゾイドでは味わえないものだ。
乗機と一体になり、空を駆ける。この絶妙な感覚の虜になってしまった者ばかりが、第六十七飛行中隊には集まっていた。
そのせいか、隊員たちの結束はとても強かった。長時間に渡る訓練飛行も、往復二千キロという長駆をおこなって敵基地を空爆するためのシミュレーションも、持ち前のチームワークで難なくこなし、私たちは万全の準備を整えた上で本番に臨むことができた。
そして、計画通りに敵基地を空爆し、多大な損害を与えることに成功したのである。
後は、無事に帰還するのみ。
誰もがそう信じていたはずだった。
だが、その期待は呆気なく裏切られることになってしまった。
陸上を抜け、海上へ出た――そう思った瞬間、ヘルメットに仕込まれたスピーカーからけたたましい警告音が鳴り響いたのだ。
敵機襲来を告げる電子音に、私は咄嗟に機体をダイブさせた。V字編隊の右端にいた私は幸運だったのか、それとも不幸だったのか。とにかく、敵の第一撃を避けることはできた。
急激なGに耐えながら、周囲を警戒した私の目に飛び込んできたのは、黒色で塗られた三機のレドラーだった。それも、近接格闘戦に特化したオリジナル機ではなく、対空レーザー砲を装備した改修型だ。鬼に金棒とは、まさにこのことである。
おそらく、基地が空爆されたとの報を受けて、私たちの中隊を要撃するために飛来したのだろうが、そんなことはどうでもよかった。それよりも、彼らが急降下する間に私以外の僚機が全て撃墜されてしまったことの方が、よほど重大なことだった。
一瞬でガルフォリンクス隊の殆どを屠ったレドラーたちは、残る一機――つまり、私のことだ――を目掛けて、急旋回してきた。
「くっ……」
私はスロットルを全開にして、逃げの一手を打っていた。
それは、殆ど反射的な行為だった。臆病者と誹られるかもしれない――などという考えが頭をよぎることは、一瞬たりとも無かった。生きて帰還しなくてはならない。ただそれだけで頭の中はいっぱいになっていた。
計器表示を一瞥し、所属基地のある方角へ機首が向いていることを確かめると、私はフットペダルを蹴飛ばすように踏み込んで、最大加速をかけた。
しかし、レドラー隊を振り切ることはできなかった。
何せ、彼らは最大速度マッハ三を誇る高速機なのである。小型軽量化を実現するために高出力ブースターの搭載を見送ったガルフォリンクスの推力では、レドラーの追撃を振り切るのは容易なことではなかった。
だが、それだけではない。ガルフォリンクスの速力について語るにあたっては、機体の出力云々以前の大問題があったことについて触れないわけにはいかないだろう。
単純に機体性能を比較するならば、ガルフォリンクスは決してレドラーに劣るゾイドではない。速力の面ではレドラーに一歩譲るとしても、対空兵装や運動性能などを加味した総合的な空戦性能については、むしろガルフォリンクスの方が優れていると思う。
これは、何も私がガルフォリンクスのパイロットだったから贔屓しているというのではない。客観的なデータに基づく論理的帰結に他ならない。その当時、共和国軍で戦闘ゾイド開発に従事していた者なら、誰だって同じ答えを返して寄越すはずだ。
問題は、そうしたガルフォリンクスの高いポテンシャルを引き出せるパイロットが存在しないという、ただ一点にあった。開発担当者が「ガルフォリンクスの性能限界は、パイロットの操縦限界よりも遙かに高い」とメモに書き残すほど、それは深刻な問題だった。要約すれば、ガルフォリンクスの性能にパイロットが付いていけないのである。ゾイド乗りとしては悔しいことこの上ないが、認めなければならない事実だった。
何故そうなってしまったのか。それは、先述したライドオン式コクピットを採用したことに起因していたのだ。
空戦用ゾイドが高速で戦術機動を行うとき、パイロットの身体に掛かる負荷は生半可なものではない。加速するとき、減速するとき、旋回するとき、上昇するとき、下降するとき……常に、パイロットは自らの体重の何倍ものGに耐えねばならない。それゆえに、そうしたパイロットへの負荷を緩和することを考慮して、コクピットはデザインされるのが普通だ。
しかし、ガルフォリンクスの場合は少し事情が違った。
優れた運動性能、長い航続距離、豊富な兵装搭載能力、機体の小型軽量化、量産性の高さ……。ガルフォリンクス開発にあたって、軍が開発チームに提示した要求項目は、過大とも言える内容だった。
そうした空軍からの設計要求に応えるために機体設計を突き詰めた結果、ライドオン式コクピットを採用するしか方法が無くなってしまったのだ。勿論、これによって低速域から中速域における操縦特性が大幅に改善し、従来の操縦システムよりも高度かつ繊細な空中機動が可能になったことは紛れもない事実である。
しかし、それは怪我の功名に類することであって、決して意図した結果では無かった。
それどころか、パイロットは強烈な風圧とGに晒されることとなり、亜音速に達すると同時にブラックアウトを起こす者が続出する結果となった。かくいう私も、その中の一人だった。
風圧はマグネッサーシステムを応用することで解決できたが、Gだけはどうにもならなかった。マグネッサーは、反重力装置ではないからだ。
これは、低速域から中速域における良好な操縦性能と引き替えにするには、あまりにも高い代償だった。
もっとも、特殊処理を施した純血ゾイド人のテストパイロットの中には、遷音速域まで引っ張った強者もいたらしいが、それが限界だった。シートにまたがって前傾姿勢で操縦するため、加速時のGが頸椎や脊椎に与える負荷は、通常の着座姿勢で操縦するゾイドに比べて、何倍にも増加する。頸椎や脊椎への損傷を避けようとすれば、とてもではないが遷音速域まで加速することはできない。超音速など以ての外である。設計上は音速の二倍近くまで耐えられる機体構造を持っていようとも、それを操るパイロットが耐えられなければ何の意味もない。
かくして、ガルフォリンクスは空対空戦闘には耐えられないと結論づけられ、対地攻撃専用機としての採用が決定されたのだ。
確かに、地上目標を相手にする分には、多少足が遅くても大した問題にはならない。空戦用ゾイドとしては速力不足でも、陸戦用ゾイドと比較すれば十分に高速なのだから。
しかし、戦場というのは何が起きるかわからない場所だ。お偉方や技術者が想定しない状況は、常に起こりうる。今が、まさにその局面だった。
三機のレドラーは、私が乗るガルフォリンクスの斜め後方に占位すると、ゆっくりと高度を下げてきた。時折レーザー砲で威嚇射撃しながら、まるで私たちの頭を押さえつけようとするかのような挙動を示す。
ガルフォリンクスを捕獲しようとしているのだと気づいて、私は舌打ちをした。
このまま高度を下げていき、強制着水させようという敵の意図が、ありありと読めたからだ。完全に舐められているとわかって、面白いはずがない。だが、ガルフォリンクスを操って、レドラー三機と渡り合えるだけの自信も無かった。
「くそっ!」
私は腹立ち紛れに計器パネルの端を殴りつけた。
敵の思い通りになるのは癪だったが、それと同じくらい命も惜しかった。戦うのがイヤだと言うのではない。既に散ってしまった仲間たちのためにも、生きて帰投し、戦果を報告しなければならない。そのためには、ここで死ぬわけにはいかない。そう思っただけのことだ。
だが、具体的にどうすればよいのか、皆目見当が付かなかった。
――どうすればいい?
――どうすれば、敵に一矢報いることができる?
答えの出ない問いが頭の中でぐるぐると巡り、その間にもレドラーに押されるように、ガルフォリンクスの高度を下げてゆかねばならない。そんな己の無力さを自覚して、私は打ちのめされたような気分になっていた。ゾイドのパイロットになってから、初めて感じる挫折感だった。
しかし、そのネガティブな気分に長く浸っていることはできなかった。
私の意に反して、ガルフォリンクスが加速を開始したのだ。
既に、速度計は時速七百キロ前後を指し示していた。これは、私自身の耐久限界ぎりぎりの速度だった。だから、速度計のデジタル表示が緩慢なカウントアップを始めるのを見て、私は焦った。速度を上げるためには推力増強装置の使用を避けることができないが、それによって得られる高加速に耐える自信が無かった。
だが、その焦りすら長続きはしなかった。
全ての計器表示がブラックアウトしたかと思うと、HUD上に短い単語が浮かび上がったのだ。
>EJECT
私がその意味を理解するよりも、状況が変化する方が先だった。
私をシートに縛り付けていた安全ベルトのロックが解除されると同時に、身体を固定するための簡易マグネッサーシステムが解除され、私の身体とシートの間に猛烈な風が吹き込んできた。毎秒二百メートルに達しようかという烈風に、私は紙切れのように翻弄され、ガルフォリンクスからあっという間に引き剥がされてしまった。
「なッ……!?」
一瞬、頭が真っ白になった。
何が起きたのか、理解することができなかった。
ガルフォリンクスから放り出された私の両脇をレドラーが悠然と通り過ぎてゆくことさえ、もう少しで見逃してしまうところだった。それくらい、そのときの私はショックを受けていた。
パラシュートが開き、降下速度にガクンとブレーキが掛かる。
緩やかに落ちていく私の遙か前方で、レドラーたちはガルフォリンクスに接触しようとしていた。
――あぁ、ガルフォリンクスを捕まえるつもりなんだな。
ぼんやりした頭でそんなことを考えたとき、私の脳裏に電気が走った。
「!!」
たちどころにガルフォリンクスの意図を察した私は、ただ驚愕するしかなかった。
レドラーのパイロットたちは、おそらく私が機体を捨てて脱出したと判断したのだろう。だから、ガルフォリンクスを捕獲することは造作もないことだと思ったに違いない。私だって、レドラーに乗っていたら、そう考えたと思う。
だが、違うのだ。
私がガルフォリンクスを捨てたのではない。
ガルフォリンクスが私を切り離したのだ。
私の操縦に従うことなく、自らの意思で加速を始めていたのが、その何よりの証拠だ。彼は――私と違って――いささかも戦意を失っていなかったのだ。自らの行動を制約する「パイロット」という存在を捨てることで、ガルフォリンクスは自身の燃えたぎる闘志を剥き出しにする自由を得たのだ。
それを証すかのように、ガルフォリンクスのメインエンジンは甲高い咆吼をあげていた。これまで一度も使われることのなかった推力増強装置がその真価を発揮し、ノズルから青白い噴射炎が吐き出されるのが見えた。
次の瞬間、ガルフォリンクスは一気に遷音速域へと達すると、レドラーを引き離しに掛かっていた。
レドラーのパイロットたちは、さぞかし驚いたに違いない。
パイロットのいないゾイドが自らの意思で戦闘行動を継続したという事例は、昔から今日に至るまで枚挙の暇もないくらいだが、私自身がその一例に加わるとは思ってもみなかった。戦闘ゾイドのパイロットというのは現実主義者だから、それらの事例をまるっきり嘘だとは言わないまでも、ゾイドに対する期待と願望に脚色された伝説的な物語だと思っている者が多いのだ。それなのに……。
海面に着水した私は、パラシュートを切り離し、パイロットスーツに仕込まれたフロートを膨らませるスイッチを引っ張りながら、忙しなく周囲を見回した。
突然、空気が張り裂けるような音がして、激しい衝撃がパイロットスーツ越しに私の身体を揺さぶった。ヘルメットのバイザーがびりびりと震えた。
衝撃波が来た方向へ顔を向けると、さっきまで私が乗っていたガルフォリンクスが音速を突破し、垂直上昇を開始していた。
爆音を引きずりながら超音速で天空を駆け上がるガルフォリンクスを、三機のレドラーが追い掛ける。その様子は先程までとはまるで違っていた。
機体本来の性能を発揮し、軽やかに空を舞うガルフォリンクスを、レドラーが必死に追撃するという図は、私にとって俄には信じがたいものだった。
どこか夢を見ているような気分で空を見上げる私をよそに、想像を超えた空中戦が幕を開けようとしていた。
口火を切ったのは、レドラー小隊の方だった。
自慢の加速力でガルフォリンクスとの距離を詰め、対空レーザー砲で一撃必殺を狙ったのだ。
しかし、彼らの思惑はあっさりと外されることになった。
鮮やかなバレルロールで対空レーザーを回避すると、ガルフォリンクスはレドラーたちの背後に付けた。オーバーシュートしてしまったレドラーが進路変更するよりも早く、自動追尾型の空対空ミサイルを全弾発射。逃げ切れなかったレドラー一体がミサイルの餌食となって撃墜されると、パワーバランスは一気に崩れ始めた。
機体重量がレドラーの約半分と軽量で、しかも広い翼面積を有するガルフォリンクスは、非常に優れた運動性能を誇っていた。その運動性能を存分に生かしてレドラーの攻撃を軽快に躱わしつつ、逆に彼らの背後を奪って、胴体両脇の六〇ミリ加速ビーム砲と主翼に内蔵された四〇ミリ機関砲の一斉射を浴びせかける。その反復は、単純ではあるけれど、極めて有効な戦術だった。
やがて、高エネルギービームと四〇ミリ砲弾がレドラーの機体と翼面に無数の穴を穿った。レーザー砲の化学燃料に引火したのか、それとも推進剤タンクに火が回ったのか。ともかく二体目のレドラーは爆散して果てた。それは、まるで空中に花が咲いたかのようにも見える光景だった。
ついに、一対一になった。
だが、残る一体のレドラーは強敵だった。おそらく小隊長機だったのだろう。巧みな空中機動で、なかなかガルフォリンクスに攻撃のチャンスを与えない。その戦いぶりは、まさしくベテランパイロットのそれだった。
そうはいっても、人間が操縦していることに変わりはない。レドラーの性能の高さは疑うべくもないが、それがどこまで発揮されるかは、あくまでもパイロットの操縦限界に制約される。
しかし、パイロットを乗せないガルフォリンクスは違う。彼は、彼自身の能力を限界まで発揮することができるのだ。人間には耐えられない急加速をし、人間には耐えられない急減速をし、人間には耐えられない急旋回をすることができる。
結局は、そのことが明暗を分けた。
ガルフォリンクスの、アクロバティックなどという言葉では表現しきれない、次元の違う空中機動に、レドラーのパイロットが追従できなくなりつつあるのは、下から見上げる私の目にも明らかだった。それでも必死に食らい付いていたレドラーだったが、ほんの一瞬の反応の遅れが命取りになった。
レドラーに追われる格好になっていたガルフォリンクスが機首を引き起こしながら急減速し、機体をロールさせながら、レドラーの後方へと回り込んでいった時、レドラーのパイロットはそれを追い切ることができなかった。あるいは、追い掛けようとしてブラックアウトを起こしたのかもしれない。真相はわからない。
確実に言えることは、レドラーに生じた僅かな隙をガルフォリンクスは見逃さなかったということである。
レドラーを捉えたガルフォリンクスは、加速ビーム砲と機関砲を何の躊躇も無く発射した。計四門の砲口が猛然と火を噴くや否や、レドラーは右主翼を喪失した。それが致命傷となり、程なくしてレドラーは爆発四散した。
まさに、あっという間の出来事だった。
波間に漂う私は、それをただ呆然と眺めることしかできなかった。頭上で展開された壮絶な空中戦の一部始終を目撃していたにもかかわらず、何もできなかった。私は全くの無力だったのだ。
だが、そんな私の気持ちとは無関係に、戦いを制したガルフォリンクスは悠然と弧を描いて飛んでいた。まるで、自らの力を誇示するかのように。
*
一時間後。
共和国軍の救難部隊に救助された私は、無事に帰還の途につくことができた。
私が助け出されるまでの間、ガルフォリンクスはずっと私の上空で円を描いて飛び続けていた。
「あのゾイドから発信された緊急救難信号のおかげで、あんたを発見することができたんだ。帰ったら、ちゃんと礼を言っておきなよ」
私を助けてくれた救難隊員からそう聞かされたとき、私は身体の芯がじんわりと熱くなるのを感じた。
ただ闘争本能のままに戦ったのではなく、私を助けようとしてくれていたのか。そう思うと、両目に熱いものが込み上げてくるのを抑えることができなかった。
「なんだ? あんた、泣いてるのかい?」
ふと気が付くと、救難隊員が不思議そうな顔で私を見ていた。
「泣いてなんかいないさ……」
私は、照れ隠しのつもりで、窓の外へ顔を向けた。
ガラス窓の向こう側では、ただ一機で戦い抜いたガルフォリンクスが救難機と翼を並べて飛翔していた。
その姿は、今までに見たどんなゾイドよりも雄々しく、勇ましく見えた。
本作は「機獣博物園Z-Zoo」に投稿した小説を加筆修正したものです。