『Return of Artoria』
From "Fate/stay night" (C)2004 TYPE-MOON
Presented by Seiran-Kai



 カムランにおける最後の戦いを終えたアーサー王ことアルトリアは、深い森の中でその身を横たえていた。
 もはや立ち上がるだけの余力すら無い。
 傍に控える従者も、ベディヴィエールただ一人。
 聖剣エクスカリバーを湖の貴婦人に返上した今となっては、ただ最期の時を待つばかりであった。
 そんな今際の際のアルトリアを守るベディヴィエールの前に、一艘の黒い船が現れた。
 それこそが王を異界――アヴァロンへと導く魔法の船だと気付いて、ベディヴィエールは息を呑んだ。
「ベディヴィエール……」
 微かに呼び掛ける声に気付いたベディヴィエールは、アルトリアの傍へ静かに歩み寄った。
「王よ、目覚められましたか」
「船は、着いたか……?」
「はい。つい今し方、到着いたしました」
「では、余をその船に乗せてくれぬか。もう、力が入らぬ……」
 アルトリアの言葉に頷き、その身体を抱きかかえようとしたベディヴィエールの背中に、聞き覚えのある声が掛けられた。
「ベディヴィエールよ、大儀であった」
 そう言いながら船から降り立ったモルガン・ル・フェの姿に、ベディヴィエールは唖然となった。
 アルトリアとは片親違いの姉妹であるモルガン・ル・フェは、事あるごとにアルトリアと対立し、その失脚を目論んで策謀を巡らせてきた魔術師である。
 アーサー王に忠誠を誓うベディヴィエールにとって、王の仇敵とも言うべきモルガン・ル・フェがアルトリアを迎えに来たという現実は、俄には受け容れ難いものであった。
「貴女が、王を癒すというのか……?」
 油断無い視線を向けてくるベディヴィエールに、モルガン・ル・フェは淡い笑みを浮かべた。
「ふふ……。なるほど、そなたの忠義心は賞賛に値する――」
「私の問いに答えよ、モルガン・ル・フェ!」
「そうであったな……。アーサー王の忠臣であった卿の懸念は理解できるが、心配は無用だ」
「その言葉を信じろと言うのか?」
 ベディヴィエールが発した問いに対し、モルガン・ル・フェは皮肉めいた笑みと共に応える。
「卿も知っての通り、アーサー王は多くの傷を負っている。故に、癒すためには長大な時間が必要となろう。だが、私の魔術をもってすれば癒せぬ傷など無い」
 迷いなど微塵も見せずに断言したモルガン・ル・フェに、ベディヴィエールが胡乱げな眼差しを向ける。
「大した自信だな、モルガン・ル・フェ」
「当然だ。私がいる限り、何人たりともアルトリアを傷つけることは許さぬ」
「アルトリア……?」
「王の真名だ。本来ならば、誰にも知られてはならぬ名前なのだが。最後まで王を守り続けた卿にならば、知られてもよかろう」
 そう告げると、モルガン・ル・フェは、同伴していたノースゲイル王妃とウェイストランド王妃の手を借りて、アルトリアを船に乗せた。
「さらばだ、ベディヴィエール」
 アルトリアを乗せた黒い船は、静かに岸辺を離れる。
 アヴァロンへと旅立つ船が霧に紛れて見えなくなるまで、ベディヴィエールは王を見送り続けた。



◇◇◇



 アヴァロンへと辿り着いたアルトリアは、モルガン・ル・フェの施術を受けながら、安らかな憩いの時を過ごすことになった。
 そうして、どれだけの年月が流れただろうか。
 ある日、モルガン・ル・フェがアルトリアに問い掛けた。
「そなたが寝言で呼んでいた『シロウ』とは何者だ?」
「え……!?」
 思いも掛けぬ質問に、アルトリアが絶句する。
 ぽかんと口を開けたままのアルトリアに、モルガン・ル・フェが重ねて問う。
「何者か、と訊いているのだが?」
「そ、その……、愛しい人です……」
 頬に朱を散らして俯くアルトリアに、モルガン・ル・フェは愉しげな表情を浮かべる。
「ほほう? そなたもなかなか隅に置けぬな」
「ち、違います。シロウとは、そんなふしだらな関係ではないのです!」
「だが、そなたを一人の女として扱ってくれたのだろう?」
「な、何故それを……!?」
 狼狽えるアルトリアの髪をそっと撫でて、モルガン・ル・フェは微笑んだ。
「そなたのことは、何でもお見通しだ」
「姉上は、ずるい……」
 口を尖らせるアルトリアに、モルガン・ル・フェがそっと囁く。
「そなたは、もう一度シロウに会いたいか?」
「――――!!」
「どうなのだ?」
「……会いたいです。できれば、ずっとシロウの傍で暮らしたかった。けれど――」
「つまらぬ意地を張るでないぞ、アルトリア。シロウとやらと添い遂げたいのだろう?」
 真っ赤な顔で頷くアルトリアに、モルガン・ル・フェは苦笑する。
「ならば、行くがよい。そなたの傷はもう癒えた――いや、身体の傷はとうに癒えていたのだ」
「……どういうことですか?」
「そなたが取り戻した『全て遠き理想郷(アヴァロン)』に、私が気付かぬと思うたか?」
「!!」
 持ち主をあらゆる攻撃から護り、持ち主が受けたあらゆる傷を癒す聖剣の鞘は、そこに収めるべき聖剣エクスカリバーに勝るとも劣らない価値を持った最高級の宝具である。
 そもそもアルトリアが聖剣の鞘を失うことになったのは、彼女の目の前に佇むモルガン・ル・フェの企みがあったからに他ならない。自身で鞘を手にしたこともあるモルガン・ル・フェが、衛宮士郎からアルトリアに返却された鞘の存在に気付かない筈がなかった。
「しかし、所有者の不死性を保証する聖剣の鞘といえども、心の傷までは癒せぬ。これまでのそなたを縛っていたのは、そなたの心に刻まれた目に見えぬ傷なのだ。遺憾ではあるが、このアヴァロンに留まっていても、そなたが真に癒されることは無い。今のそなたが最も必要としているものが、ここには無いのだから」
 そう言ってから、モルガン・ル・フェはアルトリアの瞳をじっと見つめた。
「求めよ、さらば与えられん。……旅立ちの時だ、アルトリア」
 厳かに告げたモルガン・ル・フェに、アルトリアが抗弁する。
「しかし、私には――」
「王としての責務がある、とでも言うつもりか? もうよいではないか。そなたは、十分に役目を果たした。一人の人間としての幸せを追い求めても許されよう」
「本当によいのですか、姉上……」
「無論だ。私は、王としてのそなたをあの手この手で妨害してきた。けれど、一人の男を懸想する女としてのそなたなら、幾らでも応援したいと思う」
 モルガン・ル・フェの答えは、アルトリアにとって予想外のものだった。
「何故なのです、姉上……?」
「どうしてだろうな? 大した理由など無いが、やはり一人の少女としてのそなたを見ていたかったのかもしれぬな」
 韜晦じみた笑みを浮かべながら、モルガン・ル・フェはアルトリアと向き合った。
「妹よ。今こそ、民の幸せではなく、己の幸せのために剣を取るがよい」
「……はい、姉上」
 こくりと頷いて、アルトリアは立ち上がる。
 すっかり傷の癒えた身体は軽く、どこまでも歩いてゆけそうなほどだった。
「では、行きます」
「達者でな」
「姉上も」
 それが、アルトリアとモルガン・ル・フェが交わした最後の言葉となった。
 そうして、アルトリアは妖精郷(アヴァロン)を出て現世へと戻った。
 王としてではなく、英雄としてでもなく、一人の人間としての生を全うするために。

 かくして、運命の歯車は再び回り始める……。



■ ■ ■



「セイバー……。セイバーなのか!?」
 八月も半ばを過ぎた日の早朝。不意に鳴り響いた呼び鈴に訝しみながら士郎が玄関を開けると、そこには忘れもしない――それどころか、夢にまで見た『彼女』の姿があった。
「はい。シロウの剣になると誓った私です。セイバーと呼ぶのが呼びやすければ、そう呼んでいただいて構いませんが、出来れば名前で……。その、アルトリアと呼んでくださいますか? この身は、もうサーヴァントではありませんから」
 はにかむような笑顔を浮かべて、アルトリアは告げた。
「ほ、本当にセイバー……いや、アルトリアなんだな!?」
 念を押す士郎に、アルトリアが頷く。
「はい。貴方に会いたくて帰ってきました。……その、ご迷惑でしたか?」
「そんな訳ない! アルトリアに会えて、俺も嬉しい」
 応える士郎の表情はとても真剣で、だからアルトリアは胸を撫で下ろした。
「あぁ、良かった。……本当は、とても不安だったのです。もしシロウに拒まれたら、私には行くアテがありませんから」
「莫迦だな、アルトリア。そんなこと、あるはずないだろ。むしろ、どこにいるのかわかっていたら、俺の方から迎えに行きたかったくらいなのに」
 そう言いつつ、士郎はアルトリアを抱き寄せる。
 ぎこちなくて、ちょっと強引で。だけど、その不器用さこそが、今のアルトリアには心地よかった。
 望む場所に帰ってきたのだ、という実感がひしひしと湧いてくる。
「……アルトリア」
 ふと囁いた士郎の声は微かに揺れていた。
「いつかの朝焼けで、俺のことを愛していると言ってくれたろ?」
「はい」
「俺もアルトリアのことを愛してる。アルトリアがいなくなって、それが骨身に沁みてわかった」
「シロウ……」
「アルトリアがいなくなって、きっともう会えないと思って、だから、未練とか、後悔とか、そんなものを持ってちゃいけないと思って、この半年ほどの間、一生懸命がんばって、でも……」
 そう話す士郎の声は、いつの間にか涙に滲んでいた。
 失われ、もう二度と取り戻せないと思っていた温もり。それを再び両腕の中に感じてしまったことで、士郎の中で何かが音を立てて変わろうとしていた。
「……でも、こうしてアルトリアが帰ってきてくれて、本当に嬉しいんだ。けれど、同時にとても怖いと感じる自分がいる。もし、またアルトリアがいなくなってしまったら、俺はどうしていいかわからない」
 それは、かつての士郎では考えられないほどの弱気だった。
 けれども、その弱さこそ自らが守るべきものなのだろうと、アルトリアは感じていた。
「だから、もう何処にも行かないと約束してくれないか」
 そう言って声を震わせる士郎の背中にそっと腕を回すと、アルトリアは優しく語りかけた。
「シロウ。私がどうして戻ってきたか、わかりますか? それは単に貴方と再会したかったからというだけではないのですよ。人としての生を全うし、その最期の日まで貴方と添い遂げるためなのです」
「アルトリア……」
「だから、どのような苦難に見舞われようと、いつか貴方が人生に幕を下ろすその日まで、私は貴方の剣であることを誓う。――それでは不足ですか?」
 何処までも真っ直ぐなアルトリアの言葉に、士郎は顔を上げた。
 二人の視線がそっと交わる。
「アルトリア……」
「シロウ……」
 二人の唇が静かに距離を縮めていき――

「朝っぱらから、玄関先で何やってるの?」

 ――不意に響いたハニースイートボイスに、士郎とアルトリアは我に返った。
「い、イリヤ……!?」
「イリヤスフィール……!!」
 ざざっと音を立てながら身体を離し、慌てて着衣の乱れを整える。
「は、早かったな、イリヤ」
「そうかな? いつも通りだと思ったけど――」
 と言いかけて、イリヤは不敵な笑みを浮かべる。
「でもまぁ、リンとサクラとタイガが揃って不在の間に、シロウとセイバー……じゃなくて、アルトリアだっけ?――が熱ぅい抱擁を交わしているなんて思わなかったから、ちょっとだけビックリしちゃったかなぁ」
「あ、あのな、イリヤ……?」
「そ、その、イリヤスフィール……。こ、これには深い事情があるのですよ……?」
 士郎とアルトリアが二人揃って狼狽する様を興味深げに眺めてから、イリヤは楽しそうに笑った。
「可愛いなぁ、二人とも。そんなに慌てる事なんて、何もないじゃない」
「だってだな――」
 と言いかけた士郎の弁を遮って、イリヤが口を開く。
「シロウは、アルトリアのことが好きなんでしょ?」
「……お、おう」
「アルトリアは、シロウのことを愛しているんでしょ?」
「……も、勿論です!」
「だったら、オドオドしたりしないで、堂々と胸を張ってなくちゃダメじゃない! 詳しい事情は知らないけど、二人の間には何も疚しいことは無いんでしょ?」
「はい」と、アルトリアが頷く。
「それなら、二人が互いに愛し合っていることを隠す必要なんて何処にもないし、誰にも遠慮することはない。――違うかしら?」
 三人の中で最も幼く見えるイリヤが、士郎とアルトリアに向かって愛し合う男女の有り様を説く様子は、客観的に見ればきっと異様な光景に違いない。しかし、イリヤの中身は、見た目通りの幼さではない。かの遠坂凛を口先だけでやり込めることができ、かつて居候していた藤村組において藤村大河を凌ぐ発言権を手にしているという『しろいこあくま』でもあるのだ。
 そんなイリヤの直言に、士郎とアルトリアはただただ呆然とするしかなかった。
「イリヤスフィール……。私は貴女のことを侮っていたのかもしれません」
 万感の思いを込めて呟いたアルトリアに、イリヤは肩をすくめてみせる。
「仕方ないわ。こんな(なり)だもの。……でもね、わたしはわたしなりに、シロウには幸せになって欲しいと思ってるし、アルトリアにも幸せになって欲しいと思ってるの」
「イリヤスフィール……」
「だから、おかえりなさい、アルトリア。あなたの帰還を心から歓迎するわ」
「ありがとうございます、イリヤスフィール」
「ふふっ。これで、より一層賑やかになるわね、この家も」
「かもな」と、士郎が苦笑する。
「で、何やら香ばしい匂いが漂ってきてるけど、放っておいていいの?」
 イリヤの指摘に、シロウの顔色が一変する。
「――しまった! 塩鮭を焼こうとして、魚焼きグリルに入れたところだったんだ。このままじゃ、炭になっちまう!!」
 慌てて台所に駆け戻る士郎を見送って、アルトリアとイリヤは顔を見合わせ、そして声を立てて笑った。
「行きましょう、アルトリア。お腹、減ってるでしょ?」
「えぇ、恥ずかしながら……」
「ま、今ので焼き鮭はダメになっちゃったかもしれないけど、おかずは他にもあるだろうしね」
「む。そんな心配はしていません。シロウならば、きっと満足の行く食事を用意してくれると信じていますから」
「あら、もう惚気ちゃってるのかしら?」
「からかわないでください、イリヤスフィール! 私はただシロウへの信頼を示したに過ぎません!」
「照れなくてもいいのに」
「だから――」
 そんな他愛もない会話を背中で聞きながら、士郎は自然と笑みがこぼれるのを感じていた。
 彼女が共にいてくれさえすれば、どこまでだって歩いてゆける。今は遙か彼方にある理想にも、いつかきっと手が届く。
 ただアルトリアと再会できたというだけで、そんな気持ちになっている己の変わり様に、士郎は自分でも驚いていた。そして、自分が『セイバー』に心底惚れていたのだということを今更ながらに強く自覚してもいた。
(莫迦だったのは、俺の方かもな……)
 何も無理して強がる必要なんて無かった。ただ、素直な気持ちでアルトリア(セイバー)のことを想っていればよかっただけなんだ。そう思えた途端、士郎の肩から余分な力が抜けていった。
 そう言えば、まだ大事な言葉を言ってなかった――と思い出して、士郎は背後でイリヤと言い争うアルトリアを振り返った。
「アルトリア!」
「はいっ。何でしょうか、シロウ?」
「おかえり、アルトリア」
 もっと言いたいことはあったけど、ただそれだけを士郎は口にした。
「――はい。ただいま、シロウ!」
 そう応えてくれたアルトリアの笑顔はとても眩しくて、士郎は思わず目を細めていた。
 正義の味方。
 その夢を叶えるための方策は、まだ見えない。
 けれど、目の前で微笑んでいるアルトリアが、これから先もずっと笑っていてくれるなら、きっと自分は道を間違えていないと胸を張れるだろう。
 士郎はそう得心して、朝食の支度に戻ったのだった。



◇◇◇



 願う夢は、遙か遠く。
 けれど、その鍵は自らの足下に。
 幾たびもの夜を越え、二人はようやく鍵の在処に気が付いた。
 そんな二人に、天壌無窮の幸せを――。



(END)


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